炎一族はがうちは一族に戻ることを納得したことでの引き渡しにすぐに応じ、うちは一族が奪った首飾りと引き替えに水鏡で会話をした1週間後の正午に谷にて交換を行うことになった。だが、その予定は当日になって帰るしかなくなってしまった。が体調を崩して谷まで行けるような状況ではなくなったからだ。

 最近はやりの流感で、熱が39度出るという、体の強いが5年はひいたことがない久々の本気の風邪だった。挙げ句の果てに出血から、妊娠まで発覚した。

 出血があるということは流産の危険性も考えられるので、動かすのは更なる危険が伴う。







「…うちは一族の頭領が谷まで来ているだろうから、汝の容態について話し合う。」







 報告を受け、状況を見に来た宗主の白磁は少し困った顔をしたが、すぐに言って、腰を上げた。





「…すいません。」

「気にするな。汝には余の東宮のことについては世話になった。」





 うちは一族に母を殺された宗主の幼い息子は、何故か酷くに懐いた。別段母に似ていたわけではないだろうが、それでも身近にいる年頃の近い女性に縋ったのだろう。





、ひどい?」





 不安そうに白磁の息子である東宮・白縹は尋ねる。

 母が死したことで情緒不安定になっていた幼い東宮は、のおかげで少し落ち着いていた。が帰ると聞けばまた少し荒れるかも知れないが、それでものおかげで母の死は認められたようだった。






「大丈夫だ。」






 白磁は息子に短く答えて、小さく息を吐く。

 谷を通ったうちは一族の面々が妾であった自分の妻を殺したのは、白磁にとっても大きな誤算だった。もちろん憎しみも大きい。だが、6人いたうちはのうち、5人は既に白磁たちが殺しており、後の一人も奪われた首飾りとともに引き渡すとうちは一族は言っている。

 こちらの支払った者は大きいが、あちらの支払った者も大きい。これ以上憎しみを重ねてうちは一族の関係のない物まで殺しても仕方がないため、白磁もそれで納得した。

 大切な伴侶の首飾りを奪われた炎一族はうちは一族にとって人質として価値があると思って連れてきた頭領の妻であるは他家出身であり、うちは一族にとって価値がないとは言っていたし、そう信じていた。

 炎の宗主の白磁としては、正直間違って連れてきてしまったこと、そして何よりもに“人質としての価値がないと改めて自覚させてしまった”ことを申し訳ないと思っていた。


 愛されない政略結婚の辛さはどこも同じだ。



 立場は違えど、炎一族の宗主である限りそれは理解しているつもりだし、白磁は実際に政略結婚で娶った正妻に愛した妾を殺されたに等しかった。

 とはいえ、少なくともうちは一族の頭領であるマダラという男にとってはは人質としての価値はあったのだろう。水鏡で話した限り、男はを心から望んでいる。谷へは頭領であるマダラ自らやってくると聞いていた。






「さて、汝の男がどんな奴か、見に行くとするか。」







 ふざけた調子で白磁が言うので、思わずも笑ってしまった。

 白磁が出てくると、彼の弟である風雪が入れ替わりでやってくる。どうやら医師や産婆と連絡など細かいことを確認していたようだ。

 が彼を見上げると、少し困ったように灰青色の瞳を揺らした。







「ひとまず安静で様子を見るしかないそうだ。薬も、腹の子にあまり良くあるまいと。」







 妊娠が分かった限り、薬を使うのはあまり良くない。そのため熱が高くて辛いだろうが、耐えて貰うという結論に至った。流産に関しても赤子はまだ1,2ヶ月と言ったところらしく、流産もしやすい微妙な時期だ。安静にして様子を見る以外に方法がない。






「妊娠、かぁ、また帰りたくなくなっちゃった…」

「普通帰りたくなるものじゃないのか?子供は宝だぞ。」

「…わたしにとっては、そうだけど、また女の子だったらどうしようって思っちゃう…、そんな自分も嫌だよ。」






 は暖かい布団の中に潜り込んで、小さくため息をついた。

 子供が出来ることは嬉しい。マダラも喜んでくれるだろうと思う。けれど、また女の子なら、うちは一族のものたちは皆、歓迎しないだろう。男を産めないなんてと罵られるかも知れない。侍女達は噂話が大好きだからだ。






「落ち着くまで、いたらどうだ?」






 風雪は愚痴のようなの話に、優しく言う。






「…風雪さんは優しいね。」






 が辛くないように気遣ってくれるだけではなく、うちは一族のことで辛く思っているを元気づけ、気に懸けてくれたのは彼だ。

 彼がどうしてそうしてくれたか、勘の鋭いにはよく分かっていた。





「きっとね、貴方の子供たちは大きな意味を持つ。」

「…わかるのか?」

「うん。何となく、神の系譜として、貴方はかけがえのない存在になる。」






 はたまに、他人を視た時、ふとこれからのことをその目に映すことがある。それこそが、蒼一族が昔から結界に閉じこもり、力を守ってきた所以でもある。





「それにきっと、わたしたちは交わる日が来る。」

「それはどういう意味だ。」

「いつか、うちはも、炎も、蒼の中で一つになる。」








 は小さな確信を持って、自分の腹を撫でながらそう告げた。

 マダラとの命の形が、自分の体の中にある。炎の宗主が生み出した愛情の塊もまた、目の前にいる。は炎の東宮の柔らかい銀色の髪を撫でながら、小さく笑う。







「その子はきっと炎の中に生まれた、蒼の子。」







 が孕むのは、うちはの子供だ。彼らは蒼一族のの子供であろうとも、おそらくうちは以外になり得ない。それを、きっと炎の力を持つ子供が変えてくれる。

 歌うように軽やかに言うの言葉に、風雪は少し不思議そうな顔をしたが、神妙な顔つきで頷いた。





「蒼とは、今回の件で話をして、特に兄は当主の萩を気に入ったらしい。」

「良かった。萩はしっかりしてるから、大丈夫だと思う。」

「…生意気な餓鬼だったがな。」

「…」







 は彼の言葉に反論する言葉はなかった。にとっては可愛い弟に違いないが、マダラも同じ感想を漏らしていたから、間違いなく他人から見ると“生意気な餓鬼”に他ならないのだろう。

 ただ、炎一族が蒼一族の当主である萩を気に入ってくれたというのはにとっても朗報だ。蒼一族は休戦協定に参加した一族の中でも一際希少な血継限界を保有しているが、あまりに一族が小さすぎる。それをうちは一族に姉を、千手一族に妹を嫁がせる形で補っているに過ぎない。蒼一族が炎一族と同盟の仲立ちを出来れば、重要性は増すだろう。

 が柔らかく微笑んで自分の腹を布団の上から撫でていると、東宮は小首を傾げた。







「なにかいるの?」

「子供がいるんだ。」






 の代わりに、風雪が甥御に答える。




「あかさま、いるの?」





 東宮は途端に灰青色の瞳を輝かせて、に尋ねた。





「…うん。まだ無事に産めるかはわからないけれど、」







 流産しかかっているというのだから、どうなるかはわからない。だが産婆が言うなら間違いないのだろう。できる限り暗くならないように言うと、ますます東宮は嬉しそうな顔をした。





「いいな!おとうととか、いもうとほしい!」






 東宮はにこにこと笑う。その笑顔が、まだ幼い娘と重なって、は切なくなった。

 まだ5ヶ月の娘は当然ながら妹や弟が出来るなんて事は分からないだろう。けれど、同じように少なくとも弟妹が生まれることを喜んでくれるかも知れない。

 それはにとって心が軽くなるような視点だった。







「ありがとう。」








 はそっと東宮の頭を撫でる。すると彼は一瞬恥ずかしそうな顔をしたが、無邪気にはにかんだ。

 母を亡くした東宮が歩む道は決して簡単ではないだろう。それでも宗主や、叔父にも当たる風雪が、彼を守ってくれるはずだ。







は、かえっちゃうの?」






 東宮は少し悲しそうにに尋ねる。






「…うん。わたしは帰らなくちゃ、また、きっと遠い、遠い所で会えるよ。」






 が優しく笑うと、東宮は無垢な笑顔で笑って大きく頷いた。


 帰らなくてはならない。は僅かなりとも自分の将来が何となく分かっていた。だから、会いに来るね、とは、言わなかった。彼女は炎一族に二度と来ることはなく、現の世で東宮に会うことも二度となかった。
残滓