谷へとやってきた炎一族の宗主、白磁から聞かされたのは、が体調を崩したため、谷まで来ることは出来ないという事だった。本来なら首飾りとそれを奪ったイカダをと交換に引き渡す予定だったが、がいないのではどうしようもない。

 マダラとしてもどうすべきか、すぐに決断するのは難しかったが、ひとまず一度、首飾りに関しては谷の近くにあるうちは一族の小屋に警備とともに留めることになり、一旦イカダのみを引き渡す代わりに、頭領のマダラだけは炎一族邸にの無事を確認するため訪れることを許された。





「見事だな。」





 口寄せか、何かは分からないが巨大な鳥に乗せられたマダラは眼下に広がる炎一族の領地を見て感心した。

 道理で他の多くの一族が恐れる訳だ。炎一族が治める土地はあまりに広大で、豊かな農地を抱えていると同時に、見事な砦や屋敷、市がたつ広場が多くあった。防衛上の問題でマダラに陸路を歩かせなかったのだろうが、少し上から眺めるだけでも十分に炎一族の豊かさが窺えた。

 同盟や休戦協定に加わる必要などないというのは、彼らは血継限界を持っているが大名に近い一面を持ち、それで十分だと思っているからだ。





「余らには、この地を守る義務がある。」






 白磁はあっさりとそう返して、その風に揺れる銀色の髪を手でおさえた。

 淡々とした口調から窺えるのは、決然とした誇りだ。年の頃はそれ程マダラと変わらないだろう。マダラが彼と手合わせをしたのは炎一族がうちは一族を襲った一度きりだが、本気でやっても五分だと感じさせるほどの莫大なチャクラと経験を持つ、力ある宗主だ。

 元々時間稼ぎだったためすぐに引き上げたが、十分に彼の力は千手の柱間にも、うちはのマダラにも劣らぬものだった。流石は炎と名乗るだけのことはある。うちは一族であるためマダラは火遁が極めて得意だが、火遁ではマダラですらも敵わないと思わせるほどの才能を見せた。

 だからこそ、炎一族の独立性をこの戦国の時代にありながらも長らく死守することが出来たのだろう。






「こっちだ。」






 屋敷に到着すると、白磁は淀みなく屋敷へと上がり、長い廊下を進む。

 どのくらいの大きさのある屋敷なのかは分からないが、少なくとも一つの建物だけで、うちはの屋敷の2倍はあるだろう。そんな建物が少なくとも3つは見えた。

 侍女も多く、全員が客であるマダラに頭を下げる。





「随分広いんだな。」






 答えも期待せずに何気なく言うと、白磁は「あぁ、五棟ある。」と答えた。





「蒼のは東の対屋にいる。元は西の対屋に部屋を与えたのだが、東宮が随分とあの娘を気に入ってべったりでな。」

「東宮?」

「跡取りだ。汝らが殺した、余の妻の息子だ。」






 白磁は足を止め、マダラを振り返った。僅かに彼の言葉に憎しみと怒気が混ざる。それを感じてマダラは口を噤むしかなかった。

 マダラが殺したわけではないが、うちは一族のイカダのしたことだ。責任がないわけではない。ましてや自分にも今娘が居る。そして愛するが殺されれば、マダラが相手をどうするかなど、自分でも想像に難くない。






「…知らぬ事とは言え、謝って済むことではないが、本当に申し訳ないことをした。」






 失った者は、取り戻すことが出来ない。例えイカダを殺したとしても、妻を失った白磁を、そして母を失った東宮を慰めることは出来ないのだ。だからこそ、陳腐なことだとは分かっていながらも、謝罪しかマダラは口にすることが出来なかった。

 昔のマダラならばつまらぬ感傷だと切り捨てただろう。だが、今はがいて、娘がいる。簡単に切り捨てられる感情でないことは理解していた。

 白磁はその謝罪について何も言わなかったが、また何もなかったように廊下を歩き出す。





「中宮、余の正妻が、妾だったあれを追い出したのだ。だから、あれは谷にいた。」

「…」

「余は中宮がいらなんだ。東宮の母であったからこそ、憎かったのだろう。」






 宗主は中宮との結婚を望んでいなかったが、政略の上で仕方のないことだった。中宮を愛すことが出来れば幸せだったのだろう。だが、白磁には既に愛する妻がおり、政略結婚とは言え中宮を愛すことは出来ず、妾と子をなした。その子が東宮となった。

 貧しい者が住まう谷の近くに、宗主の伴侶の首飾りを持った妾はいた。炎一族の東宮の母にもかかわらずだ。その理由は、宗主の正妻であった中宮が、彼女を無理矢理追い出したからだ。






「哀れだ。」






 白磁が吐き捨てるように言った言葉は中宮に向けられたのか、それともに向けられたものか、どちらにしても、彼は憎しみよりも憐憫の感情を、一族や家族を背負わされた女たちに向けている。

 だからこそ、人質としてすら価値がないと思う程に追い詰められているを哀れと思ったのだろう。

 そしてまた、この話をマダラにするのは、マダラがを大切に思っていると知った上での、“警告”だ。例え自分が彼女を愛そうとも、周りが彼女を害することがある。余程気をつけなければ、を壊すことになる。


 小さな悪意が、永遠に彼女を失うことになるのだ。



 白磁の中宮とて別に妾を殺したいと思ったわけではなかっただろう。しかし折り悪く、偶然妾はうちは一族の者と鉢合わせ、殺されてしまった。そういうことが、往々にしてあり得るのだ。

 東の対屋に近づくと、楽しそうな声が聞こえる。





「ほらほら、みてみて、」

「あらすごい。」

「あまり無茶をするなよ。床板に穴が空く。」

「だいじょーぶ。」






 の暢気な声に混じって、楽しげな幼く高い声と、それを止める低い声が交わる。白磁が御簾を上げてはいると、そこにいたのは横たわると、その近くで火鉢とにらめっこをしている子供、そしてそれを監督している白磁とよく似た青年だった。

 は入ってきたマダラの顔を見て少し驚いたようだったが、白磁を見て、座っているのは失礼だと判断して身を起こそうとする。






「あぁ、良い。熱が高いのだろう?」







 白磁は手をひらひらさせての動きを制すると、マダラを御簾の中に入れた。マダラは足早にの方へと歩み寄ると、布団の近くに腰を下ろす。






「何かあれば侍女を呼べ。」






 白磁は短く告げて自分の息子を抱き上げ、風雪に手招きをして全員で部屋から出て行った。どうやらゆっくりとマダラとに話をさせてくれるらしい。





「大丈夫か、」

「あ、う、うん。」

「嘘つけ。熱が出たのだろう?」





 の額に手を当てると、随分と熱が高いのか、明らかに伝わってくる体温がおかしかった。はそれでもマダラの助けを借りながらも身を起こした。






「マダラさん、なんで?」





 紺色のくるりとした瞳をマダラに向けて、は問う。






「おまえの体調が悪くて動かせないと白磁殿から言われてな。先にイカダを引き渡すかわりにおまえと会わせて貰うことにした。」

「で、でも、危ない、でしょ?普通。」

「おまえが大丈夫か直接確認したかったからな。それに後のことはイズナに任せてある。」






 が心配することじゃない、とマダラは言って、の細い手を握った。随分と炎一族では良い扱いを受けていたのか、少しふっくらしている。

 確かに炎一族の屋敷に行くなど狂気の沙汰だが、体調が悪いというの無事をどうしても直接確認したかったし、イズナをうちは一族に置いてきているので、ある程度の事は彼が対処するだろう。確かに炎の宗主は強いがマダラを襲う気はなさそうだし、そうなった時はその時対処するしかない。






「体調は悪そうだが、無事で良かった。」






 マダラは安堵の息を吐いて、体を起こしたを抱き締める。

 彼女が攫われた時は本当に、心臓が止まるかと思った。アカルを抱いていなかったら、を避難所に入れなかった元侍女頭のカズナと炎一族の人間を殺して襲撃される原因を作ったイカダをあの場で殺していただろう。

 1ヶ月ぶりに抱き締めるに、マダラは肩の荷が少しだけ下りた気がした。

醜い感情を抱えながらも美しい貴女が欲しい