「アカルは?」







 はすぐに自分の娘のことを尋ねた。マダラはこれからの自分の処遇よりも娘のことを尋ねるに少し呆れたが、それが母親というものなのだろう。






「体調は良いようだが、頗るご機嫌斜めだ。おまえがいないからな。」

「でもマダラさんに、懐いてるでしょう?」





 確かに娘はマダラに懐いている。だが、それはよりもマダラに懐いているというわけではない。他の者と比べて父親であるマダラに懐いていると言うだけだ。





「母親より懐いているなんてことはないさ。最近はぐずられてばかりだ。」






 マダラはの髪をそっと撫でて、目を細める。






「だから、早く帰るぞ。」






 少しだけ、少しだけ疑いを持ちながらマダラはに言った。帰りたくないと言われるかも知れない。その恐怖をは見抜いたのか、マダラの手をが握り返す。





「うん。大丈夫、頑張る。」






 柔らかい声音ではそう、マダラに返した。その答えが辛くて、マダラはそっとの頭をもう片方の手で撫でる。

 きっとは様々なことに満足していたのではなく、“我慢していた”だけなのだろう。

 不安は払拭されていないだろうし、避難所の一件のように他家出身だからと拒まれることがあるかも知れないと覚えるのは当然だろう。娘を連れていればなおさらだ。とはいえ、今後そう言った襲撃のようなことは、なくなるだろうとマダラは予想していた。




「頑張らなくて良い。俺たちは引っ越すことになった。」

「え?どこに?」

「蒼一族の元の住処から、少し離れたところだ。そこに、住むことになりそうだ。」






 それは前にに話した、“良い話”のまとまった形だった。

 休戦協定を結んだ忍の一族はある程度近場に住まう、と言うことになったのだ。それはお互いに妥協点を探し、休戦協定を長引かせる狙いがあると同時に、お互いを見張り合うためでもある。

 敵対しているうちは一族と千手一族は、それでも30分ほどの所に住まうことになるだろう。





「蒼一族もそこに住まう。少しは楽になるだろう。」







 区画を分けられると言っても、どの一族も今までとは違い、随分と近い距離に住まうのだ。姉が大好きな愁や萩は遠慮など知らないから、何かとマダラの屋敷に通うだろうし、逆にが蒼一族の所へ帰ることは出来なくとも、ある程度会ったりすることは出来るようになるだろう。

 市が立つのは一カ所だから、結局はうちは一族もそこで買い物をすることになるので、他の一族と会うことも増えるだろう。もめ事もあるだろうが、それに関しても共同のルールで裁くことになった。





「…あ、あのね。マダラさん。」





 は少し躊躇うように、口を開いて目じりを下げる。マダラはの肩を自分の方に抱き寄せ、楽なようにもたれさせる。だがは体を硬くしたままでなかなかいつものように体を委ねず、頼りなく手を胸のところで握りしめていた。





「どうした?」





 何か不都合でもあるのだろうかと問うと、はぱっと顔を上げた。





「ち、違うよ。帰りたくないとかじゃないよ。」

「あ、あぁ。」






 その鋭い勘でなんとなくマダラの不安が理解できたらしい。マダラははっきりと言われて逆に拍子抜けした。





「わたし、子供がいる、かも。」

「え?」

「さっき産婆さんが来て、でも、その、出血があって、」






 は泣きそうに目じりを下げて、自分の腹に手を当てる。

 妊娠すると月のものは来ないと言われる。だというのに出血があったというのは、あまりよい事ではないだろう。もしかすると熱もその体の変化から来るものなのかも知れない。子供が駄目になる可能性がある、と言いたいのだ。




「子供は授かり物だ。そういうこともある。」





 目じりの涙を拭ってやり、頬を撫でる。





「で、でも、」







 は声を詰まらせて、ぽたぽたと涙をこぼした。堪えていたのだろう。マダラはの頭を抱き締めて、髪をくしゃりと撫でる。





「出来れば嬉しい。だが、もう娘がいるんだ。無理はしなくて良い。」

「で、でも、…」

「いざとなればアカルが強い婿でもとればいいだろう。子供がこれ以上できなければ、それは俺がその時に考える事だ。おまえはいろいろな事に気を回しすぎだ。」









 それはある意味で勘が良い故だろう。誰が何を望んでいるか、理解できるからこそ、辛いし、苦しいのだ。

 その8割あたる勘を持って生きる蒼一族の中で、嘘をついても無意味だからこそ嘘をつかず、嘘をつかれず育ってきた。は他人の害意に対して非常に敏感だ。だからこそ、そういった所がうちは一族の中で生きるにとって負担になるのだろう。





「おまえらと違って、俺たちはなんでも望む。それはそれが手に入るものなのか、入らないものなのかがわからないからだ。」






 蒼一族はだいたい、自分のものが手に入るのか、入らないのかを簡単に目算をつける。その当たりすぎる勘だけで。だが、そんな勘を持たない普通の人間は、望んで、駄目だった時に考えるのだ。あらかじめ分からないからこそ、それを望み、努力する。

 今の時点で手に入らないか、入るかが分かってしまう蒼一族はある意味で、今の時点の実力からの目算であり、予言の力を持ちながらも、ある意味で将来の可能性を奪う事もある。

 物事は一長一短だ。






「おまえにいろいろなことを無視しろというのは酷なのかもしれない。だから、少しずつ俺に言え。俺が一つずつ対処する。」





 ではどうしようもないことは沢山ある。分からず意見できないと口を噤むだろうが、それをどうにかするのがマダラの仕事だ。






「でも、ま、マダラさんが、」

「ん?」

「マダラさんの、うちは一族での立場が、悪くならないかな、って。」







 は目を伏せて、不安そうに言う。それを聞いてマダラは思わず吹き出してしまった。







「ど、どうして笑うの?」

「おまえそんなことを気にしていたのか?」

「え?」

「言っておくが、俺がうちはの頭領なのは、何も血筋だからではない。」








 どうやらマダラが思う以上に、はマダラのことを考えていたらしいが、それは杞憂だ。








「カナから聞いていただろう。」

「何を?」

「俺が怖いという話だ。」






 はマダラが怖いという話を、侍女のカナから聞いていた。他にも何人かにそう言った話をした人間がいたらしく、「マダラさんは優しいのに」と笑っていた。

 確かにに対して、マダラは優しい。だがそれはあくまでに対してだけであり、うちは一族の誰もがマダラを怒らせれば恐ろしいことになる事は知っている。ましてやうちは一族の中にマダラに勝てるような実力を持つ人間はいない。

 マダラが頭領なのはその血筋のみならず、その力でうちは一族の頂点に立っているのだ。

 実戦に一度も出た事がなく、マダラが戦うところを見たこともないにとっては優しいマダラしか知らず、よく分からなかったのだろう。

 特には母を早くに亡くし、当主であった父も数年前に亡くなった時から、当主となった幼い弟を後見して長老たちと渡り合ってきたと言う。だからこそ、そういう考えに行き着いたのは自然なことだと言えたが、マダラは大人だし、少し状況が違う。







「それに、それが俺の立場を悪くするかどうかは、俺が判断することだ。おまえはただ俺に言えば良い。」

「言っても良いの?」

「あぁ、」

「じゃあ、あの、じ、侍女とか、ちょっと変えて欲しい、かな。」








 はおずおずと申し訳なさそうに言う。随分と控えめな“お願い”にマダラは笑みを零した。

 長女で早く両親を亡くしたためか、ぼんやりして穏やかなのには変なところでしっかりしているが、そういう言い方をすれば、やはり年相応だ。目も大きいため、16歳とは思えない幼い面立ちも相まって、やっぱり子供のようだ。

 誰かが守ってやらねばならないんだと気づかされて、マダラはふと哀れだと漏らした炎一族の宗主を思い出した。




幼き愛情