とミトはすぐに甘味屋を後にしてから、話ながら簪屋に行った。
「私は貴方の事をもっと気の強い女性かと思っていました。」
ミトは苦笑しながら、ちりりと簪を人つてにとって鈴を鳴らす。
「どうしてですか?」
「だってあのうちはマダラの妻だというのですもの。それに愁のお姉様でしょう?」
「…」
妹が嫁ぎ先でいったいどんな風に傍若無人に振る舞っているのか、は一瞬不安になった。その原因は、母が死んでから弟妹に厳しく言わず、多少の気の強さも可愛いものだと育ててしまったにあった。姉である自分に可愛くても、マダラに言われたとおり他人にはただの“生意気な餓鬼”でしかない。
後で文を書くか、近く来た時に少し叱ろうと心に決めたが、ミトの目はどこまでも優しかった。
「夫は今も、うちはマダラとの和解を望んでいるのです。友だから、と。」
歌うように、彼女は空を見上げて言う。ちりりとなる簪の鈴の音が、あまりにも儚げで、彼女の言葉とともに消えた。
「貴方は、うちはマダラが、恐ろしいとは思いませんか?」
まっすぐなミトの瞳に問われて、は少し考える。
うちは一族に攫われた時、恐怖はあまり感じなかった。無理矢理マダラに抱かれた時は恐ろしかったし、今でもたまに体が震えるほどに怖いと思う事はあるが、それは反射的なものでしか既になく、マダラは常に自分に優しく、恐ろしいと思ったことはほとんどなかった。
「…わたしは、戦いを知りませんから。」
蒼一族の結界の中で育ち、戦国の世の中で唯一と言って良いほど俗世と離れた生活を送ってきたは、戦いを知らなかった。結界の中で引きこもっている蒼一族は結界をはったり、それを強固にする力しか持たず、自給自足。ごくごくたまに外に出て血継限界・透先眼で得た情報や予言を売って生計を立てていた。
うちは一族に攫われてからも一年の軟禁を経てマダラの妻となったが、すぐに妊娠したため、全くと言って良いほど実戦に参加しなかった。また妊娠しているので、ますますこれからも遠ざかるだろう。
だから、実際に恐ろしいマダラなど、知らないのだ。
「でもあの目は綺麗だなって思います。」
「え?」
「不遜だなんて言ったけど、夫が娘にアカルって名前をつけた理由も、わかるんです。」
マダラは娘にアカルと名付けた。これは阿加流姫神という日の出の太陽を表す、赤い瑪瑙の球の化身の名から取ったそうだ。
「わたし、マダラさんに連れられて海に連れて行って貰った時、初めて日の昇るところを見たんですよ。あの赤いマダラさんの目は本当に太陽みたいに、すごく綺麗。」
は無邪気に笑って見せる。
マダラが一度だけを澄み切った海に連れて行ってくれたことがある。その時まだ朝の暗いうちに起こされて、初めて日の昇るところを見た。丸い真っ赤な光が、闇をすべて振り払うところを見て、はまるでマダラの緋色の目みたいだと思ったのだ。
だから、マダラの娘としていつか写輪眼を持つであろう子供には相応しい名前だと思った。
「綺麗、ですか。」
ミトは驚きの目でを見る。
ミトたちにとってみれば、あの写輪眼は恐ろしい化け物の色に他ならなかった。写輪眼を持つあの一族に、どれほど沢山の仲間が殺されたか分からない。緋色の瞳は忌まわしい死の色であり、恐怖の象徴と言ってもおかしくなかった。
だが、はそれ自体を綺麗だと、太陽に例えるのだ。
彼女は何も知らない。偏見もなく、ただ素直にそう思ったのならば、ミトがあの目を毒々しいと感じるのも偏見から来るものなのだろう。ましてや他人の本質を見抜く独特の“勘”を持つが写輪眼を“日の出の太陽だ”というのならば、そうなのかもしれない。
「貴方たちは、不思議な人たちです。」
ミトは本心からそう思っていた。
彼女達は優れた勘を持って人の本心をさらりと見抜き、それでいて自分たちは全くと言って良いほど嘘をつかない。ミトはの妹の愁と何度も話しをしたが、彼女は気が強いが全く悪気はなく、また人の本質をずばずば言うことに臆さない。だからこそ不和を産むこともあるが、良くも悪くも素直そのものだった。
もまたそうだ。彼女は的確にミトの言いたいこと、知りたいことを理解する。
「そして時々、未来を見る目を持っている。」
何となく、ただそれだけで愁が何度も人を助けたり、小さな事を予言するのを、ミトは目の当たりにしてきた。
「それを、隠さない。嘘をつかない。」
ミトは本当はにうちは一族が休戦協定を守るようにと尽力して欲しかったわけではない。が尽力したところで、うちは一族がどうするかは分からない。しかもは蒼一族から来た他家の出身者だ。うちは一族に嫁いで頭領の正妻として遇されているとは言え、マダラの決定に逆らうことは出来ないだろう。
に休戦協定を破棄するうちは一族をどうこうする力はない。
だからミトが聞きたかったのはなんの慰めにもならないからの気休めだ。大丈夫だよと、そんな陳腐なことを言ってほしかったのだ。
はそれを無意識に見抜き、5年後まで、と言った。ミトがほしがっていた確証を、少なくとも五年分くれた。彼女には五年後までの状況が“見えている”のだ。とはいえそれ以上がわからないか、もしくは状況が変わると見越して、五年後は分からないと素直に答えた。
偽っても、良いはずなのに。ミトに望む答えをくれたのだ。ミトが俯くと、はらりと緋色の長い前髪が滑り落ちる。
「んー、だって変わらないものだから、」
は小さく笑って、沢山つまれているピン留めの山を探っていたが、可愛らしいものが見つかったのだろう。近くにあった金色のピンを取って、太陽にかざした。
「わたしの予言は詳しくないから、言っても言わなくても、未来は変わらない。萩みたいに、詳しく見えないから。でも、知っていた方が良いかなって。」
の予言は本当に欠片しか見えない。だからこそ、変えることは出来ない。
ならば果たして言う意味があるのかと、疑う人間もいるのかも知れない。でもは、先に言われておいた方が覚悟が出来るのではないかと思う。例え苦しい終わりだったとしても、あの時言えなかったと悔やむよりは、先に知っていた方が、自分にも相手にも悔いが残らないような過ごし方が出来るのではないか、と。
「どっちにしても、今を精一杯生きないとね。」
いつ終わるとも知れない生なのだから、大切な人の傍で精一杯生きなければもったいない。
「そういうもの、ですか。」
「はい。そういうものだとわたしは思います。」
は言ってから、はっと目を丸くした。
「ごめんなさい。生意気を言って。わたしの方が、年下でした。」
しょぼんと紺色の大きな瞳を伏せて言うは、まさに年相応の少女だ。ミトは軽く首を振って、「いえ、勉強になりましたよ。」と笑った。は金色のピンを持ったまま、恐縮する。代わりにミトが軽い調子で尋ねた。
「何か素敵なものは見つかりましたか?」
「はい。これ、ミト様に似合うかなと思って。」
は笑顔で返す。一体彼女は何を熱心に探しているのかと思えば、どうやらミトに似合うものを探していたらしい。見るとその三本ある金色のシンプルなピンは、ミトに似合いそうだった。
「すいません。これをください。」
は近くにいた商人に声をかけて、ミトが言う暇もなくあっさりとそれを包んで貰う。それを改めてはミトに渡した。
「…すいません。気を遣っていただいて。」
「いえ。多分愁がその百倍お世話になっていると思うので。」
はどうやら妹の愁が迷惑をかけているだろうと気に病んでいたらしい。親が随分と早くになくなってから、長女として弟妹を守ってきたしっかり者のお姉さんだけはあると言うことだろう。
「あ、もうそろそろ日暮れですね。帰らないと。」
いつの間にか、日が暮れ始めて空が僅かに赤く染まり始めている。
確かは少し出かけてくると言っていたはずだ。うちは一族のものたちは、千手一族の頭領の妻に連れ出されたを心配しているかも知れない。
「送りましょうか?」
ミトが声をかける。は答えなかったが、いつの間にか水色に変わった瞳で辺りを見て、あ、と小さな声を上げた。
道の向こうには慌てた様子のマダラの弟・イズナが立っていた。
貴方を恐れ、貴方を羨む