「あれれ、イズナ?」
はいつもののんびりとした調子で首を傾げる。
「駄目だよ。。勝手に護衛もつけずに外に出ちゃ。」
を探していたのか、イズナの息は荒く、一瞬隣にいるミトを睨み付けてから、少し安堵したようにの手を掴んで引っ張った。
「行くよ。」
早足で歩いて行こうとするイズナに、は引きずられる形になる。
「え、あ、あ、ありがとうございました。」
は手を引っ張られながらも、後ろを振り返ってミトに頭を下げた。彼女は少し申し訳なさそうに目じりを下げて、小さく手を振っている。
が前に向き直ると、珍しく少し怒った顔をしたイズナがいた。
「どうしてそんなに心配して怒っているの?」
の手を強く握る彼の手は、じんわりと汗ばんでいる。
彼は酷く怒っているように見えたし、同時にを酷く心配しているようだった。に完全に感情を看破されたイズナは一瞬驚いた顔をしてを見たが、何とも言えない表情で奥歯をかみしめた。代わりに僅かに歩調がゆっくりになる。
「兄さんもすごく心配してるよ。」
言われて、は目をぱちくりさせる。
「どうして?」
確かに勝手に二人で出かけたことは怒られても当然だが、そんなに心配されるようなことだったのだろうか。
「勝手にミトと出かけたからに決まってる。」
「でもミト様はおひとりでこられたよ?」
ミトは一人で来て、だからも一人でついて行った。別にミトから殺意や害意は感じられなかったし、彼女がを傷つける気も無いようだった。
ミトはと話しがしたいと言ったけれど、うちは一族の屋敷に入るには反発が大きかった。だからは彼女を連れ出して別の場所で話しをしたのだ。ただそれは、うちは一族では許されないことだったらしく、イズナはの重要性の分かっていないふわふわした反論を聞いて怒りが増したようだ。
それを感じては口を閉ざす。
「は、根本的にわかってないんだよ。でも仕方ないよね。本当に知らないんだから。」
イズナは自分の怒りを抑えるように早口で言った。穏やかな彼としては珍しいことだ。
「俺たちは元々、五人兄弟だった。」
「五人?」
は彼の言葉を反芻する。
この時代兄弟が多いのは普通だし、幼児死亡率が高いので、多く子供を産んでも一人二人死んでしまうのはよくあることだ。しかし、5人も兄弟がいて、今2人しか残っていないというのは、あまりにも少なすぎる。
何故かは聞いてはいけないことのような気がして、は口を噤んだ。代わりにイズナが口を開く。
「殺されたんだよ。」
「…」
「千手に。」
うちは一族と千手一族が長らく争い続けていたことは、も聞いている。だが実際にどういった形で争っていたのか、は知らない。実情も全く知らなかった。
「3人も?」
「そうだよ。もちろん俺たちも、あっちの兄弟を何人も殺してる」
淡々と、イズナは感情のない声で、否、感情を押し殺した低い声音を響かせた。
「蒼一族は三人とも残ってるよね。でもそれって、すごく幸せなことなんだよ。」
には妹と弟がおり、今も健在だ。しかし、三人兄弟がいて、全員が生き残っているというのは、蒼一族がいかに争いに巻き込まれてこなかったかを示している。
の手が、恐怖ではない、あまりの事実に小さく震える。
「俺たちはの弟妹たちが、うちはの屋敷に遊びに来ることは許せる。だって、蒼だろ?」
は他家の出身だ。今までずっと蒼一族は結界の中にあり、争いごとにも無関心、無干渉を貫いてきた。だからこそ他家から嫁を迎えることすらも許したし、正直うちは一族にとって蒼一族に対する恨みは全くない。
例え妹が千手の嫁いでいようと、彼女は蒼一族であって千手ではない。そう思う事が出来る。
「でも、ミトは違う。」
うずまき一族は長らく千手一族と協力関係にある。イズナの兄弟が殺された時も、うずまき一族はその作戦に荷担していた。
「そんな、じゃあ、仇同士で、近くに住んでるって、ことなの?」
はあまりに深刻な話にどう返して良いのか分からなかった。
ならば今回の休戦協定も、お互いに監視し合える区画に引っ越したことも、歩いて30分の距離に仇同士が住むことも、は全く知らなかった。
「そうだよ。」
イズナは悲しそうな顔で笑って、目を伏せた。
「…苦し、過ぎるよ。」
いったいどんな気分で、休戦協定を受け入れたのだろう。
近くに親の、子供の、兄弟の仇がいる。殺した相手の近くで暮らすことが、どれほどの恐怖と苦痛を伴うのか、には想像もつかない。だって弟妹のために命を捨てようと思ったことがある。それと同じように、残されたものだって、仇を討ちたいと願うだろう。
彼らの死を、無駄になんて思いたくないから、意味を求める。
――――――――――夫は今も、うちはマダラとの和解を望んでいるのです。友だから、と
ミトは柱間のことをそう言っていた。だが、お互いの兄弟を殺し合ったことを思えば、友だと言うだけで家族への愛情を捨てることは到底出来ないだろう。
柱間の言葉は、夢物語にも等しい。
「少なくともあいつらは敵だよ。」
イズナはの方を振り返ることもなく、言う。
「には悪いけど、今はうちは一族の頭領の妻なんだ。」
が自覚しなくても、千手一族にとって、はあくまでうちは一族の頭領の妻だ。ミトも間違いなくに“うちは一族の頭領の妻”として話しをしに来たはずだ。利用されるという可能性も、十分にある。
「はまだ自分で自分の身を守れないだろ?妊娠もしてるんだ。」
蒼一族出身のはほとんど攻撃のための忍術を知らないし、自分の身を満足に千手一族から守れるとは思えない。ましてや今は妊娠中だ。
「俺たちはこれ以上、家族を失いたくない。」
イズナの声音には、恐ろしいほどの力と悲痛なほどの決然とした思いが刻まれていた。それが、彼らが背負う悲しみと苦しみの重さを物語る。ぽろぽろとボロ屑のように失われていく命を、イズナとマダラは見続けてきたのだ。
その感情が直に伝わってきて、はイズナの手を握りしめて俯いた。
「?」
「…ごめんなさい、」
ミトにを害する気持ちはなかったとしても、イズナはが心配でたまらず、探し回っていたのだろう。はうちは一族の男衆が鷹でマダラに告げ口する気なのは分かっていたので、最初甘味屋に行くと言っておいて、すぐに甘味屋を出て簪屋に足を運んだのだ。彼らに見つからないように。
だが、それはイズナとマダラの心情を思えばあまりに浅慮だ。千手と一緒にいると聞いて、二人は肝が冷える思いだっただろうし、過去のことを思い出して失う恐怖にだってかられただろう。悲しすぎる過去の傷を、は抉ったのだ。その気が無かったとしても。
彼らの悲しみを思えば、は自分の勝手な行動を悔やんでも悔やみきれなかったし、涙が溢れて止まらなかった。
「え、…」
泣き出したに、イズナは慌てて振り返る、が、すぐに硬直した。よく分からない反応に、は涙をためたまま彼が見ている自分の真後ろを振り返る。
「!」
そこにいたのはマダラだった。酷く焦った様子で駆け寄ってくると、一通りの様子を確認してから、うわずった声のまま尋ねる。
「どうしたんだ?何かあったのか?ミトに何かされたのか?!」
「…え、あ、違うよ、違う、」
は矢継ぎ早に問われて言葉を差し挟む余地がなかったが、ぶんぶんと首を横に振って、そのままマダラに抱きついた。
「どうしたんだ?」
「ごめんなさい…」
抱きついた彼の体は汗でぐっしょりと濡れていて、まだ走った余韻が残っている。それすら申し訳なくて、涙で濡れた頬を押しつけた。
「一体どうしたんだ。」
「何もなかったけど、反省したんだって。」
イズナがあっさりと付け足す。マダラは腕の中にがいる事に安堵して、強く彼女の体を抱き締めた。
悲しみのありか