死んだ兄弟のことを忘れたことはない。今も心にくすぶり続ける悲しみを、忘却することなど不可能だ。だからこそ、ふとたまにぼんやりと暗闇の中で揺れる炎を見ながら考える事がある。
「…どうしたの?マダラさん。」
がふと針仕事の道具を片付けながら、唐突にマダラに尋ねる。
灯りの影では先ほどまで針仕事をしていた。夜にが針仕事をしているのはよくある事で、マダラはそれを何をするでもなく褥に横たわりながら眺めるのが好きだった。
話もせず彼女の針仕事を眺めながらとりとめのないことを考えるのだ。マダラは饒舌な方ではないため、が話を振らなければ別に話さない。もかしましいタイプではないので穏やかに流れる沈黙は、心地よいものだ。
たまに灯りに揺れるの顔を眺めるのも悪くはない。彼女はほとんどいつもは顔を上げなかったが、今日はマダラが見てもいないのに、唐突に尋ねた。
「何がだ?」
どうしたのか聞くほど、自分は何かしただろうかと首を傾げると、彼女はその紺色の瞳を何度か瞬いて、淡い色合いの唇に言葉をのせる。
「なんだか、悲しそうだったから、」
はその優れた勘で、マダラが何を考えていたのかを理解したのだ。だが、マダラはそれについて何も言わずに、をちらりと見てから少し身を起こす。
「もう遅い。寝るぞ。」
「…わかったよ。ちょっと待って。」
は針箱を棚の上にしまおうと背伸びをする。最近ものを棚の上に置くようになったのは、娘のアカルがあちこちにつかまって立つようになったからだ。針箱は小さいものもたくさん入っており、飲み込んでは困る。
ただが自分で置くには少し棚の位置が高すぎるようだ。
「待て、俺が置く。」
マダラは布団から立ち上がり、針箱をひょいっと上に置く。
「おまえ、結局あまり背が伸びなかったな。」
ぽんぽんとの頭を軽く撫でると、は上目遣いでマダラを物言いたげにじっと見た。
14歳で出会ってから、の背はここ2年半のうちに一応5センチほど伸びた。の両親はそれ程低くはなかったらしく、妹で2歳下の愁、四歳下の弟・萩が今のと同じくらいの身長で、まだ順調に伸び続けているらしい。
対しての方は完全に伸びるのが止まってしまっている。妊娠してからぴたりと止まったのだという。
マダラが180近くあるので、隣に並ぶとますますは童顔も相まってより小さく見えると、うちは一族の男衆も言っていた。身長差は軽く二十センチ以上だ。
死んだ弟たちも、と同じくらいの背丈だったかも知れない。
「マダラさん?」
が紺色の瞳で自分を見上げてくる。その無垢な瞳はマダラの中でくすぶる負の感情も何も知らない。己で感じたことも見たこともない。
「どこか、痛いの?」
はそっとマダラの表情をのぞき込むようにこちらを見上げて、マダラの頬にその白い手を伸ばす。
白い手は血に汚れたこともない。自分を傷つけたことはあっても、他人を傷つけるための武器を手にしたこともないのだ。
「俺こそ、」
うちは一族の人間は、がうちは一族の頭領であるマダラに不釣り合いだという。だが、逆だろうとマダラは思う。
マダラは血にまみれた争いの中に、優しい世界しか知らなかったを引きずり込んだのだ。
「マダラさん、前にも言ったけど、わたしは外に出られたことを後悔していないよ。」
は質の良い鈴のような軽やかで柔らかい声音で言う。頬に添えられていた細い手が離れ、白い腕がゆっくりとマダラの首に回され、そっと抱き寄せられる。
「わたしは大丈夫。だから、貴方は大丈夫?」
心から気遣うような声に、マダラは大きく息を吐き、の体を強く抱き返す。
「…あぁ、」
はよくうちは一族の頭領としてマダラが負う重責を敏感に感じて、どんなに嫌な顔をされようとマダラが負の感情にとらわれるとすぐに気づく。
それがどういった種類の負の感情だったとしてもだ。
不思議な話だ。彼女はほとんど声を荒げて怒ることはないし、おそらく憎しみなどの感情も全く分かっていないだろう。なのに、彼女はマダラがそう言った感情を抱いているのが分かるのだ。
マダラがを守っているようで、マダラはに守られているのかも知れないと思う事があった。
マダラはが戦いに関わることを、そして死ぬことを何よりも恐れている。が手を汚すことを恐れると言うよりは、マダラががそうすることを恐れているのだ。自分で彼女を戦いの道に引き込んで、穢しておきながら、彼女に綺麗なままでいて欲しいなんて、ばかげているにも程がある。
から少し体を離し、の顔をのぞき込むと、彼女はにっこりと紺色の瞳を細めた。
「眠いんでしょう?」
マダラの手を取って、布団の方へと導く。は寒いと思ったのか、近くにあった上布団をもう一枚取ってきてから、マダラの座った前にぺたんと座った。
正座ではなく足を崩しているため、本当にぺたんと言った感じで、何やら酷く幼い。
さらりと長い紺色のまっすぐの髪が襦袢から見える首筋をさらりと滑り落ちる。それをは少しくすぐったそうに後ろへと払った。
「、」
淡い色合いの唇に引き寄せられるように唇を重ねる。柔らかく温かい唇を割って舌を滑り込ませると、少しだけは苦しそうな顔で逃げようとしたが、後頭部を押さえる。
「ま、まだら、さっ、」
眉を寄せて、懇願するように名前を呼ばれる。小さく震えるその体を、負担をかけないようにゆっくりと布団に押し倒した。
「ぁ、ま、」
襦袢の襟をくつろげ、帯紐を解けば、は拒まないまでも戸惑ったような顔をしていた。
妊娠が分かってから、マダラはに触れていない。前妊娠した時は、あまりにお互いの関係が悪く、和解した時にはもう臨月だったためこういうことはしなかった。だが、今は違う。お互いに思いあってともにある。
とはいえ、妊娠していると言うことを考えれば不安なのだろう。
「いや、か?」
マダラはの頭の横に手を突いて、の髪を梳きながら尋ねる。間近にあるの紺色の睫がぴくんと揺れたが、おずおずとマダラを見上げ、首を横に振った。
「…いや、じゃ、ない、」
ほとんど聞こえないほど掠れた声で、は答える。それに、マダラは笑いながら、首筋に口付け、肌に強く吸い付いた。その途端には小さな悲鳴を上げる。
「きゃっ、」
「眠くは、ないな。」
マダラが開いた体は、マダラに驚くほど素直に反応し、楽しませてくれる。政略結婚だというものもいる。確かにそうかもしれないが、始まりは違う。マダラは彼女が好きだからこそ、政略結婚に同意した。好きだからこそ、他人のものになるのが許せずに無理矢理妻にした。
行き違いはあったけれど、彼女も同じ気持ちだと言ってくれたのが嬉しくて、酷く満たされた。今のマダラは昔、負の感情に覆われたのが思い出せないほどに、満たされている。
「ま、まだっ、ら、さん、」
うわずった声が何度も自分の名前を呼ぶ。震える白い喉元に誘われるように舌を這わせると、はまた嬌声を上げた。
大切な妻がいて、子供がいて、弟がいて、穏やかに過ごせる時間がどれほど幸せなのか、夢なのかと思う程に愛しい。
マダラには父がいったいどんな思いで愛した女やその子供を戦場に出したのか、分からない。
大切だからこそ、愛しいからこそ、もしもやアカルが死んでしまうのなら、かわりに自分が死んでしまいたいとすら思う。己の父はどんな気持ちでマダラや弟たちを戦争に駆り立てたのだろう。忍は死ぬものだなどと、吐けたのだろうか。
「っ、」
ただ愛しい女の名前を呼び、体を重ねる。そうして生まれる愛おしい存在がある。命をつないでいく。それがどれだけ重要で、かけがえのないことか。ただそれだけで、満たされていられる。
だが、マダラはその幸せがとともにあると言うことに、まだ気づいていなかった。
満月