千手一族の長である柱間の妻・ミトが正式にうちは一族の頭領であるに会合を求めたのは、冬頃の雪が降り出す少し前のことだった。
「春をめどにって事なんだけど。」
イズナが心配そうに目じりを下げて、に言う。が隣に座るマダラを見ると、渋い顔をしていた。はマダラの膝に座っている娘の頭を撫でてやってから、小さく頷く。
「お受けすると答えて。場所などは警備の問題もあるだろうから、わたしにはよくわからないけど、」
「春にするのか?」
マダラが短くに問う。
「何か困るの?」
「臨月が近くなるぞ。」
今子供は12月の時点で、妊娠半年と言ったところだ。仮に3月に会合を行ったとして、8,9ヶ月。臨月に近くなる。
「もちろん体調が悪ければお断りするけど。でも、出来るならお受けしたいな。」
「…、案外強いね。」
イズナはあっさりと言ってのける兄嫁のに目をぱちくりさせる。
「だって、二人目だし、どうにかなるでしょう。」
「前回に帝王切開でパニックになった奴の台詞じゃないな。なぁアカル。」
マダラは自分の膝の上にいる娘に目を向けて、小さな背中を優しく叩く。アカルはよく分からなかっただろうが、父親に撫でてもらえたのが嬉しかったのか、「とー」と歓声を上げた。
「…それは兄さんも人の事は言えないでしょ。俺、千手に負けてもあそこまで焦らなかったと思うな。」
「何か言ったか?イズナ。」
「何でもないよ。」
イズナはすました顔でマダラに答えた。マダラは小さく笑って、を見る。はその紺色の瞳できょとんとしてマダラを窺うように見上げていた。
「焦ってたの?」
「さぁな。」
「でも、焦ってるように見えなかったよ。」
「おまえの焦り具合が酷くて我に返ったんだ。」
マダラはため息をついて、の額を軽くこづく。
和解してから互いに思いを確認し合い、順調だったし、妊娠自体は常に全くと言って良いほど問題がないと産婆からも聞かされていた。頭を下にしていた娘が、出産の日だけ反対を向いて逆子だったなんて、思いもしなかったのだ。
ある程度出産は分かっていたので家にいたマダラは、侍女に帝王切開を聞かされて焦っての所に行ったが、本人の方がもっと焦っていて、陣痛も酷い上に腹を切られると言われてパニックを起こしていたのだ。年若くて何も知らなかった上、初めてのお産には酷な話だっただろう。
『ま、マダラ、さん、…お腹、痛い、ど、どうしよ、』
日頃まったく取り乱したりせず、攫われた時すらものんびりと自分の状況を受け入れていたが、泣きそうに震えた声で、怯えた瞳でマダラの手を掴んだのだ。見たこともないの様子に初めて、これはやばいのかも知れないと思う反面、自分の役割はすぐに分かった。
『大丈夫だ。俺がついている。』
まさか自分が何も出来ないのに、こんなあからさまな法螺を吹くことになるとは思わなかった。
もちろん、マダラが手術自体をすることはないし、せいぜい出来て手を握っているだけだ。だが、それでもマダラの力強く落ち着いた言葉に少しだけは落ち着いたらしい。
術後も痛みが酷いのか、1週間ほどはぐったりで、子供が生まれた喜びはあったが、への心配の方が大きかったように思う。
「だって痛くて死ぬかと思ったんだもの。」
少し恥ずかしそうに頬を染めて、は口を尖らせた。
「それはあながち外れではないかもね。男だと陣痛でショック死するって言うし。」
イズナは苦笑して、肩を竦める。
「そんなこと言ったら、また怖くなってくるよ…、大丈夫かな。」
「なるようにしかならんだろう。」
「マダラさん、そういう時、肝が据わってるよね。」
「頭領だからな。おまえも分からない奴だ。出産以外は実に落ち着いてるって言うのに。」
攫われても焦った様子がなかったが、出産で慌てふためくというのは、驚きだった。
「だって、自分のことだし…。」
「攫われたのも自分のことだと思うがな。」
「そうだけど、覚悟してたし。」
「じゃあ何か、出産は覚悟がなかったと。」
「だってあんなに痛いと思わなかったんだもの。」
「予想外だったら慌てるのか?なら大方の事は予想通りだと見える。」
マダラは娘を抱きながら、の髪を片手で掻き上げる。まっすぐな紺色の長い髪はさらりとの肩を滑り落ちる。少し垂れ気味で大きな紺色の瞳が取り乱して揺れることは、情事以外はあまりない。
「…そんなにわたし、焦ったり慌てたりしているように見えないの?」
「見えないな。いつもあららですますだろう。」
「そうだったかな、」
軽く小首を傾げて、は言う。その仕草はいつもで、困った笑みを浮かべて首を傾げて見せるのだ。どんなことでも大抵。
「まぁ、どちらでも良い。おかげで、俺は可愛い娘を得られたわけだしな。」
マダラは退屈してきたのか、マダラの肩につかまって一歩二歩と危なっかしく歩き出している娘を止める。最近活発すぎて少し目を離すとどこかに行こうとするので、見張っておかなければ怖い。
帝王切開を馬鹿にする者もいたが、アカルも元気そのもので、問題は全くない。
「でもそういう可能性もあるわけだし、会合が臨月に重なるのは良くないよ。」
イズナは再びずれた話を元に戻す。
「なら、もう少し早めて貰った方が良いかなぁ。」
は少し思案して口にした。
遅らすのはあまり良くないし、出産後も色々と忙しいのが常だ。の体調も整わない。ならば、出産前が良いだろう。
「だが、雪がもう積もっている。雪道を歩くのは賛成できないな。」
既に雪は降ってしまっており、これから2月にかけて雪は深くなる。雪道を妊娠中のが歩くのはあまり良くない。かといってうちは一族邸で休戦協定に同意しているとは言え、宿敵同士の頭領の嫁が会うというのも、千手側としても厳しいだろう。
だが、こればかりはどうしようもない。
「会うなら1月か2月。うちは邸だ。それが出来ないなら、夏以降にまわす。」
マダラは妥当な結論を下す。
ましてやは妊娠中で、ほぼ動けないと考えて間違いない。元々蒼一族で自分の身を守る術も結界以外はほとんど使えない。対してミトは千手とともにうちは一族に対抗し、戦ってきており、忍術も非常にうまい。の方に多くの護衛がつくのは、当然のことだ。
妊娠のことも含めて、うちは邸で会合して貰うのが、あまり歓迎は出来ないが妥当だろう。
「ミト様とは会いたいけど、正式な場ならなおさらそうすべきだよね。」
も少し目じりを下げたが、マダラの言うことに同意した。
「ならそういうことで連絡しておくよ。」
イズナは頷いて、立ち上がってから、マダラの膝にいたアカルに手を伸ばす。慣れた叔父の姿に、アカルも素直に抱きつく。
「それにしても、可愛いね。アカル。次も女の子だと良いのに。」
「曰く、男らしいぞ。」
の9割当たる勘によると、お腹の子供は男の子らしい。
「え、そうなの?」
「うん。男の子だと思うよ。でもアカルより動いてないかも。」
胎動を比べると、どちらかというと前のアカルの方が元気だった気がする。娘はお腹の中でもせわしなく動いており、あまりにお腹を蹴るので痛くて眠れない時期もあったほどだった。
「じー、」
イズナに抱きついて、アカルは笑う。最近父親と母親は分かっていたが、それにイズナが加わったらしい。それに思わずマダラとは同時に吹き出す。
「じーじゃないよ。おじさんだよ。」
少しむっとした顔をしてイズナが言うが、マダラとが笑ったことを誉められたと勘違いしたアカルは「じー」を連呼していた。
幸福な家族