「真っ白ね、」
は雪見障子から見える光景をちらりと見て、息を吐く。
「本当ですね。様、こちらを」
侍女のカナがに厚手の裏地のついた羽織を持って来て、肩にかける。
「姫様!出てはいけませんわ!!」
もう一人の侍女のカワチが勝手に障子を開けて廊下に出て、そのまま庭に出ようとするアカルを止めにかかる。だが、カワチに抱きかかえられたアカルは、悲鳴のように大きな声で泣き出した。それに驚いたカワチの手が止まる。
アカルはカワチの表情が凍り付いたのを確認してから、つかまり立ちのまま障子を押し開けたが、その小さな体を、やってきたマダラが捕らえた。
「まったく、おまえは」
呆れたような声音は、間違いなく娘であるアカルに向けられたものだ。
「すごい声だね。」
イズナもマダラの後ろからやってくる。娘を抱えたまま、マダラは部屋の中に入り、イズナも同じように彼に続いてから、後ろ手に障子を閉める。
「ふたつ向こうの部屋まで響いていたぞ。」
マダラは部屋で書き物をしていたはずだ。そこまでアカルの声は響いていたらしい。
「ごめんなさい。ふたりともお仕事中だったのに、」
仕事を邪魔するのは良くない。が謝ると、マダラは娘を抱いたまま手をひらひらさせた。
「おまえは妊娠中だ。アカルを追いかけて出て貰っても困る。」
外は雪だ。運動しなさ過ぎるのも良くないが、アカルを追いかけてに外に出られて風邪でも引かれても困る。だが、聡い侍女達の方はマダラの言葉が言外に示すものを理解したらしい。
「申し訳ありません。」
カワチがマダラに頭を下げる。それに続いての隣にいたカナも深々と頭を下げた。
身重のの代わりに本来アカルを止めなければならないのは、侍女達だ。そのためにに侍女をつけているのだ。面倒が見られないようでは困る。
本来アカルを止めなければならなかったのはカワチだが、彼女はここのところアカルの捕獲に失敗し通しだった。そのまま廊下の向こうの雪にダイブしたこともある。アカルはどうしても雪に興味があるらしい。とはいえ、実際に雪の中に入ると寒くて泣くのだが。
「まったく、困ったものだな」
マダラはアカルを抱えたままの隣にあった座布団に座る。
「カワチも子供相手には形無しだね。」
イズナも肩を竦めてから、別の座布団に座った。
侍女になったばかりのカワチは元々うちは一族の中でも指折りの使い手だったらしいが、の護衛兼侍女になった。
アカルの母親であるは妊娠中、しかも頭領の妻であるため、忙しい。世話は侍女が担うことになるのだが、子供の世話に全く慣れていない彼女は、最近活発に動くようになってきたアカルに逃げられることが多かった。
しかもそれを理解してか、アカルはカワチが何かを言ったり止めたりすると、大きな奇声を上げて、彼女の動きが止まると逃げ出すという方法まで編み出している。
カワチとしてはやはり頭領の娘であるアカルに、幼いとは言え思うところがあるらしい。ついでにアカルに強く出てマダラからの叱責を恐れているようにも見えた。
「カワチ、おまえはアカルの声に怯まなくて良い。こいつは、よく見てるぞ。」
マダラは膝にアカルを乗せて、娘を見下ろす。
どうにもこの幼い娘は、随分と頭が良いらしい。話すのも随分と早かったが、まだ1年にならないというのに、既に身近な人間の顔を把握し、対応を変えてくる。実際にアカルは父母であるマダラやに対して奇声を上げたことはなかった。
要するに自分の言うことを聞いてくれるだろう相手を選んでいるのだ。
「誰であれ我が儘は良くない。頭領の娘であればなおさらだ。」
マダラはじっと漆黒の瞳で自分を見上げている娘を見てから、息を吐く。
誰であれ我が儘というのは疎ましいものだ。頭領の娘というのはそれだけで十分な力がある。それを我が儘に使うことを幼いうちから覚えるのは良くない。
「女の子であんまり偉そうなのは、よくないよ。マダラさんにそっくりだからって、同じ行動をして良いわけじゃ無いし。」
は相変わらずののんびりした口調でつけたす。それにマダラは目を丸くしたし、イズナも興味深そうに目を瞬かせる。
「、おまえそれは俺が偉そうだと言いたいのか?」
マダラはを見下ろして、目じりを下げるしかない。
「え?」
わたし、そんなこと言ったっけ?と言った顔で、はマダラの顔を心底不思議そうに見上げる。それにイズナは盛大に笑い声をあげ、恐縮していたカワチは吹き出した。続いてカナも堪えきれず笑いを漏らす。
「え、何かおかしかった?」
「話の流れがな、俺が偉そうみたいな話だった。教育に悪くて悪かったな。」
「え?そんなことないよ。マダラさんは優しいよ。」
「あぁ、そういうことにしておく。」
「なんでそんなに投げやりなの?」
「別に、」
自覚がないなら気にするだけ無駄だとマダラは適当に話を打ち切り、小さな暴君である娘の頭を撫でる。漆黒の髪はまだ柔らかいが、随分としっかりしてきている。
「マダラさんとイズナさんは、仕事がまだ残っているの?」
「いや、」
「じゃあ、今日は早めに夕飯にしましょうか。」
「そうだな。夜、アカルとゆっくりするのも悪くはないか。」
「うん。」
が言うと、心得ているカナとカワチが食事の用意をするために廊下へと出て行く。
いつもは夜、アカルを侍女のカナに預けて面倒を見て貰うことが多いが、たまにはアカルも含めて寝るのも悪くないだろう。夜泣きも、最近と眠る時はそれ程酷くない。
「おいでー」
イズナがアカルに手招きをすると、アカルは嬉しそうにマダラから離れ、ぽてぽてと何歩か歩いてイズナに抱きついた。
イズナはにとってはとても良い義弟だ。
年齢こそよりもずっと年上だが、優しく、人をよく見て柔らかい言葉をかけるのが得意だ。攫われた最初も、を気にかけて何かと本などを差し入れてくれていた。今もよくアカルの面倒を見てくれているし、頭領で忙しいマダラに変わって細かいことを教えてくれるのはイズナだった。
マダラも唯一残った兄弟であるイズナを心から大切にしている。
「家族がどんどん増えて嬉しいな。」
イズナは笑いながら、アカルを抱いて言う。
人は生まれ、死んでいく。けれど、彼が覚えている中では亡くしていくばかりだったのだろう。戦いの中で兄弟や親が亡くなっていく姿を、どんな心地で見守ったのか分からない。
確かにの父は戦いの中に死んだが、遺体すらもどうなったのか知らない。結界の外で攫われた時点で、情報を集め、それを蒼一族に送った後自害する。それが、基本的に攫われた蒼一族の取るべき道だ。ただ出かけたままいなくなった、そんなイメージが強かった。
には何も出来ない。
マダラやイズナがなくしてしまった物を取り戻すことも、一緒に戦う事も、そして彼らの悲しみを本質的に理解する事も出来ない。だが、には1つだけ出来ることがある。
「うん。家族がたくさんいるのは嬉しいよ。だからまた頑張ろうかな。」
はそっと自分の腹に手を当てて、にっこりと笑う。
「そうだな。まぁ、気に負わず頑張れ。俺は楽しいことづくしだ。」
マダラがぽんぽんとの手を軽く叩いて、唇の端をつり上げる。
「え?なんで?」
「俺は子供を得られる。も夜に積極的になってくれる。悪いことは何もないだろ。」
「え、それとこれとは話が別……。」
は珍しく早口でもじょもじょと返した。
確かに子供は欲しいが、夜に積極的になるかは話が別だし、正直全く自信がなかった。また、夜のことを仲が良いとは言え、イズナの前で言われたことが恥ずかしくてたまらなかったは、マダラの腕に顔を埋めてイズナから隠れる。
「あはは、楽しみにしてるよ。」
頬を染めるにさらりと軽く笑い返して、イズナは笑った。
幸せ家族計画