アカルはおやつを食べると眠たくなったのか、すぐに侍女に抱かれて会合が行われている部屋を辞した。
「本当に子供はかわいいですね。目に入れても痛くないでしょう?」
ミトはいつもは非常に大人びて感情の起伏なく話すというのに、軽やかに少し興奮した高い声音で言った。
「そうですね。本当にかわいいです。」
もそれに素直に返して、娘の姿を思い浮かべる。
最近はすねたり、侍女にわがままを言ったりとなかなか大変だが、それでもにとっては目に入れても痛くないほど愛しい娘だ。それは間違いなくマダラも同じだと断言することができる。
はまだ戦いを知らないが、アカルを亡くしてしまうことを考えれば狂ってしまいそうだし、もしも娘が死ぬというならば、代わりにこの命を差し出して良いとすら思う。
「どうも、北あたりで大きな争いがあるというのはお聞きになりましたか?」
ミトは打って変わって真剣な顔でに尋ねる。
「ちらっとは、」
妊娠中なので作戦行動自体に関わることはないが、それでも図面作りはしているし、年末にマダラが渋い顔で言っていたのは聞いている。護衛のアスカの話では、うちはや千手が休戦協定を結んだことに警戒して今のところ近づいては来ていないが、両陣営ともに相当過酷で大きな争いを始めようとしているようだった。
互いに譲歩できず、争いは刻一刻と近づいている。
あちこちで大きな一族が休戦協定を結んだり、同盟を締結したりとまとまる動きを見せている。しかしそれは同時に大きなぶつかり合いを予感させるものでもあった。
うちはと千手も巻き込まれないように手を尽くしていることだろう。
「・・・わたしは、戦いを知らずに育ち、今もほとんど戦いに関わっておりません。」
嫁いでからすぐの相次ぐ妊娠は、を戦場から遠ざけた。それは幸いだったかもしれない。覚悟はしていたがは人を殺す刃を持ったこともなければ、人を殺そうと思ったことも、戦い死んだ人の遺体を見たこともない。
「もちろん大切なものを守るためだというのはわかっています。ただ、人が人を殺すのは、恐ろしいことと、思います、」
所詮の命も、誰の命も一つしかない。だというのに力を持っているというそれだけの理由で殺し合い、たった一つの人間を誰かから奪い、奪われる。それはそれを生業としているうちはや千手一族には申し訳ないが、恐ろしいことだとは思う。
「そのことを誰もが知らなければならないと思います。その上で、できるならば話し合うことが大切だと。」
戦うより話し合う方がずっと良い。殺し合うよりは罵りあう方がましだ。取り返しのつかない喪失をお互いに与えることはない。消えない傷を得ることもない。
「わたしは絶対娘を失いたくありません・・・貴方がそれをわかってくださる方だから、わたしと貴女はお話し合いができると思うんです。」
は少し目尻を下げて、ミトに言う。
マダラは自分の3人の兄弟を失った。その時に彼の父母が生きていたかどうかはわからないが、は自分の子供を三人も失えば耐えられないだろう。何人産んだとしても、自分の腹を痛めて産んだ子が死にゆくのを黙ってみているわけにはいかない。
「殿方だけでは、お話にならないことがありますものね。」
彼女は少し驚いた顔をしたが、神妙な顔つきで深く頷いた。
実際にマダラが千手に対して折り合いをつけられなかった議題を、が妹で扉間に嫁いだ愁に連絡し、愁が義兄である柱間と話し合うという手法は、今も実際に用いられている。特にと愁は姉妹であり、互いによく行き来しているため手紙が改ざんされる可能性もない。
これを愁が義姉であるミトに取り次げば良いのだ。
どうしてもマダラと柱間は幼い頃からの因縁があり、常に素直にいろいろな議題に迎えるわけではない。だがわだかまりのないとミトならばそれができる可能性が高かった。
「だから、仲良くいたしましょう。」
はにっこりと笑って侍女が出したお茶を手に取り、飲む。それは少し冷めてしまっていたが、質の良いお茶は冷えても香ばしい柔らかさがあった。
「そうですね。私も貴方となら仲良くできそうだと思っていたんです。」
ミトは少し軽く笑って、「だから始めに敬語はやめませんか」と提案した。
「良いんですか?わたしの方が随分年下ですよ。」
はミトよりも10近くも年下だ。そんな相手に敬語をやめていいのかと思ったが、
「でも貴方はお子様がいらっしゃるでしょう?ご息女のご生母ですもの。」
少しいたずらっぽく、ミトはに笑って見せた。
それは要するにまだ子供のいないミトよりも、マダラの子供を産んでいるの方が身分が上だと揶揄したのだ。それは若干自虐的だったが、虚を突かれたは目を瞬かせて言葉を失った。
「夫の愚痴なども話せるし、まぁもちろん、彼らが黙っていてくれるなら、だけど。」
ミトはいたずらっぽく護衛についてきている義弟の扉間を見る。
「んー、イズナは、告げ口しなさそうだけど。」
も義弟を振り返って、軽く小首を傾げた。
存外義弟のイズナは口が堅いし、恐ろしいと言われるマダラに対して軽口をたたいてみせるのも彼だけだ。内緒にしていてくれと言えば、マダラに絶対に言ったりしないだろう。
「そうなの?彼はすぐ夫に告げ口するのよ。」
ミトは袖で口元を隠して小さなため息をつく。
「悪口を言おうものなら筒抜けだわ。」
「でも、あまりわたし不満ってないんですけど。」
「は謙虚なのね。」
「そんなわけじゃないけど。」
はあまりマダラに対して不満はない。うちは一族でひとり阻害される悲しさもあったが、それはマダラへの不満ではない。彼はを心配してくれたし、いつも体を気遣ってくれる。誰よりも彼が自分を心配してくれるから、慣れない場所でも問題なく暮らせるのだ。
「マダラさん、優しいし。」
「そんなこと言えば、ほかの一族は卒倒するわ。」
マダラは戦いに関しても、力で押さえ込むことに関しても全く容赦がない。そのため、彼の残酷さは非常にほかの一族から恐れられていたし、話し合いに臨んでいる時でも、彼が笑うことはほとんどなく、あの緋色の瞳と恐ろしさだけの印象しかないのだ。
その彼を優しいというのは、世界広しといえどくらいのものだろう。
「一ヶ月に一回ぐらいは会えると嬉しいわ。もちろん、4月あたりまでは無理だろうけれど。」
あと数ヶ月では出産予定だし、出産後もしばらくは動けないため会合は無理だろうが、それ以降であれば問題ないはずだ。そう思ってミトはを気遣ったが、はにっこりと笑った。
「生まれたらすぐ赤様を見に来られれば良いと思うよ。」
「でも、それはさすがに、」
「どうせ愁も見に来るだろうし、マダラさんに頼んでおくよ。」
はあっさりとミトに言ってみせる。ただミトの方が気が引けたのか、伺うようにイズナを見たが肩をすくめる。
「兄さん、に弱いから、」
「・・・」
扉間は口を少し動かしたが、何も言葉が見つからなかったのか口を噤んだ。
だが実際にイズナは、もしもがマダラにお願いをすれば、それは案外簡単に通るだろうと予想していた。ましてや利害に一切関係のない訪問で、しかものお願いだ。はあまり願いを口にしないため、マダラはそれが小さいものだったとしても、すぐにかなえようと全力を注ぐのだ。
「そんなことないと思うけど、」
「そんなことあるよ。兄さんが反対するのはの体調が悪い時だけ、でしょ?」
今回の会合も正直マダラ本人はまったく乗り気ではなかった。公式にを頭領の妻として外に出すならそれなりに義務や役割が降りかかってくる。妊娠中のため、そういったことに関してあまり気にしてほしくなかっただろうし、体調も心配していた。
だが、がミトに会いたいというので、3月は臨月になるためだめだが、1月末ならばと妥協したのだ。
「それって、普通じゃないの?」
いつもマダラが自分の願いをあまり拒否したことがないことを知っているは、不思議そうに言う。
「・・・その優しさをいっぺんでもほしいよ。」
イズナはぼそりとに聞こえないくらい小さな声で言った。
マダラの人使いはなかなかに荒い。炎一族にがさらわれた時も、流産の危険があり、すぐに帰れなくなったの無事を確認したいからと、仕事をイズナに全部放り出していったこともある。
悪態をつくイズナに、思わずミトと扉間も同意してしまった。
未来のために