長い梅雨が過ぎゆく頃には、森の向こうで行われている戦いは、再び激化したようで、残党が強盗や泥棒を始めたり、やけが人の何人かがうちは一族や千手一族の住まう一角にも迷い込むようになっていた。




様もあまりお一人で外にお出にならないでくださいね、」 





 侍女のカワチが真剣な表情で言う。



「・・・悲しいことね。」




 は思わずそうつぶやいて、生まれたばかりの息子の背中をぽんと叩いた。

 残党たちが泥棒や強盗をするのは、おそらく食べ物がなく、それ以外に方法を知らないからだ。一族が瓦解したり、滅ぼされたりすれば、この時代よって立つ背はない。一族を失った者たちの末路は常に悲惨なものだ。

 にもかかわらず、一族同士は争い、滅ぼし合う。



「この間もカワチの住まう近所で強盗があったそうですわ。」



 侍女のカナはゆったりした調子ながら珍しく少しおびえるように目尻を下げて言った。



「そうなの?カワチのご家族は大丈夫だった?」




 はカワチに問いかけると、彼女は「はい、」と答えたが続けた。




「・・・ですが、その家の人は、皆殺しだったそうです。あまり腕が立つ方ではなかったので。子供までいたというのに。」




 蒼一族が全員透先眼を持つのに対して、うちは一族では写輪眼を持たない人間も多く、血継限界を全員が受け継ぐわけではない。うちは一族の中でも戦いに向かない人間はたくさんいる。



「どれほど無念だったでしょうね。」




 は息子を腕に抱きながら、その家族のことを思えばいたたまれなかった。

 マダラと違い、はそれほど強くない。結界術はマダラ以上だが、他人を攻撃するすべをほとんど持たないは、戦いという場ではあまり役に立たない。人を殺したこともない。それでも、子供たちのためなら戦うだろうし、人を殺すことだってできると思う。自分の命を捨ててでも、助けたいと思う。

 それが、親というものだ。



「わたしも、ちゃんと術の勉強をしないとね。」




 は蒼一族出身で戦わず結界の中で引きこもり生活をしていたし、嫁いできてから妊娠出産を繰り返していたため、戦いにも参加していない。攻撃に関する術はほとんど知らないので、時々マダラに教わっていたが、二人目を妊娠してしまったため、数ヶ月で中断になっていた。

 出産したのだから、もうそろそろ練習を再開するべきだ。




「マダラ様がまた心配なさいますよ。事、様のことになると、マダラ様は存外過保護ですから。」




 カナはやんわりと気合いを入れるを止めて、を気遣う。




「それにマダラ様はお強うございますから、様までお強くてはバランスがとれません。」





 カワチがすまし顔で言うでの、思わずは吹き出してしまった。



「でもね、たまにわたしに戦う力があれば、戦いが止められるのにって、思うの。わたしも蒼一族も力がないもの。」




 千手とうちはに対して、蒼一族はあまりに小さい。二つの一族が争いを始めればそれを止める力はあいにく持ち合わせていない。




「確かに、透先眼をもつ蒼一族がうちは一族のように強かったら、誰も勝てませんね。」




 カワチは口元に手を当てて、少し困ったように首を傾げる。 

 透先眼は千里眼と同じ効能を持つ、遠目の力だ。索敵だけでなく、指揮にもむいている。またその本人が莫大な力を持っているとなれば、蒼一族に勝てるものは誰もいなくなるだろう。しかし、今、蒼一族はそれほど力を持っておらず、当主も幼く、人数も少ない。




「どうして、世界はこんなに争ってるんだろうね。」




 穏やかに生きてきたには、どうしてもわからないことがある。誰かを守るために、誰かを思うが故に殺し合う人々。それはお互いを思いやることができないからこそ、争うことになるのだ。




「・・・誰だって、愛しいものがあるでしょうにね。」




 は春に生まれたばかりの息子を抱き上げ、ぽんぽんと背中を叩く。

 上の子供が生まれた時はひどく重いと思っていたが、その重さになれたのか、今は軽く思える。それでもすぐに子供は育ち、重たくなり、いつかが抱けないほどに大きくなるのだろう。

 そして、の大切なこの子は、誰かの大切な子供を殺すのかもしれない。




「大好きよ、」




 きっと、殺される子供も、殺す子供も、誰かに愛されていた、愛されなければならなかった存在だ。なのに、戦いの中ではそれが失われていく。子供の命はあまりにも簡単で、それを奪う大人たちもその命の尊さを忘れている。

 すべての命は平等であるというのに。




「かかまー」




 襖をゆっくりと押し開けて、まだ1歳になったばかりの幼い娘が入ってくる。が仕立てた緋色の着物は、漆黒のなめらかな髪を持つ彼女によく似合っていた。




「アカル、」




 は娘の名前を呼んで、つたなく歩いてきた娘を抱きしめる。




「どうしたの?」

「ててま、じーじ、みて、」





 何を言っているか全くわからなかったが、娘は小さな手を開く。そこに握られていたのは小さな瑪瑙の玉だった。



「これは、どうしたの?」



 鮮やかな炎をうつしたような橙色の瑪瑙はただの玉で、まだどの装飾品にするかどうかも決まっていないようだった。とはいえ、質がいいのか波模様が非常に美しい。




「おいおい、アカル。それをどうするんだ?」




 娘が開いた襖から顔を出したマダラが少し困った顔をして、娘に声をかけた。



「かかまの、」




 アカルはにっこりと笑って、の手のひらにその瑪瑙の玉を置く。




「え?わたしに?」




 はよくわからず首を傾げてから、マダラを見る。マダラも驚いたのか何度か漆黒の瞳を瞬いてから、部屋の中に入ってきて後ろ手で襖を閉めた。




「ちょうど来ていた商人が持っていた品なんだが、それをどうしてもアカルが手放さなくてな。どうしたものかと思ったが、一応買い取ったんだ。そしたら途端にこっちに歩き出した。」

「あら、アカルのなの?」




 は小首を傾げて、その瑪瑙の玉をアカルに返そうとする。だが娘は首を横に振っての手からそれを受け取ろうとはしなかった。




「・・・?」

「かかまの、」




 一言そう言って、アカルはじっとの顔を見上げる。




「いいの?」

「うん。」




 が尋ねれば素直に頷く。の表情を伺っている娘がかわいくて、笑って腕に抱いた息子もそのままに、娘を抱きしめた。




「ありがとう。貴方からの初めての贈り物ね。」

「きゃー!」




 の腕の中で、娘が歓声を上げる。それを聞きながらは嬉しくて娘を抱きしめていると、マダラは少し複雑そうな顔をしていた。




「女心を掴むのがお上手ですね。」




 侍女のカナは苦笑して、マダラの方を見た。

 本来ならそういう贈り物をするのは恋人や夫であった方が良い。だが、幼い娘は幼いなりに母に喜んでもらいたかったようだ。




「気をつけないと、兄さん、娘にとられちゃうよ。子供も増えたことだしさ。」



 ひょこっと襖を開けて顔を出したイズナがころりと人なつっこい笑みを浮かべて言う。



「どんどんかまってもらえなくなるよ。」

「なんだその親を取り合う子供みたいな発想は。」



 マダラはあきれたようにため息をついての隣に腰を落ろしたが、の腕に抱かれている息子と、膝を占領している娘を見て、少しイズナの言葉が頭をよぎった。



独占欲の塊