に犬塚一族から書状が届いたのは、梅雨も過ぎた頃だった。
「何を言ってきているんだ?」
マダラの方が警戒するような様子で書状を開くを眺めている。厳重に封のされたそれの冒頭には達筆な文字で挨拶が長々書かれていたが、長々と経緯と懇願が記されていた。
「炎一族との、もめ事・・・みたい。」
は少しのんびりとしたいつもの口調ながらも、少し不安げに言った。
どうやら炎一族の住処と接していた犬塚一族は、炎一族ともめ事を起こしているらしい。犬塚一族は千手一族が提唱した休戦協定に同意した一族の一つだ。とはいえ休戦協定はあくまで休戦だけを明記したもので、同盟とは違う。
「・・・犬塚はつぶされるかもしれないな。」
内容を把握して、マダラは冷静にそう思った。
炎一族の領民と小競り合いを起こしてしまったらしい。炎一族側は相当怒っており、すでに2週間後に犬塚一族が今住んでいる場所から退去しなければ襲うとの予告済み。炎一族との正式な意見交換の場のない犬塚一族は慌てて、炎一族と繋がりのあるに連絡をしてきたのだ。
大きな炎一族にかかれば、小さな犬塚一族はひとたまりもない。
「どうして、わたしに?」
は書状が自分に来た理由がわからないのか、首を傾げる。
「犬塚一族は炎一族との連絡手段を持っていないんだろう。おまえは、この間も祝いの品をもらっていただろう?」
炎一族にさらわれたこともあるだが、その後は炎一族と友好的な関係を保っている。先日も嫡男が生まれた際には祝いの品をわざわざ贈ってきたくらいだ。そのことを犬塚一族も聞いていたのだろう。
「もちろん。宗主の白磁様にお手紙を書くことはできるけれど。最近そんなことばかりの気が。」
この間も炎一族とのもめ事を抱えていた波風一族がに連絡してきたばかりだった。
が手紙を書けば、確かに宗主の白磁も一応目を通してはくれるだろう。だが、その後どうするかまで強制することは当然できない。利害関係の問題もあるため、もまた他の一族と炎一族の争いには感化しないようにしていた。
「あまり干渉する必要はない。他の一族のことだ。」
マダラはの隣に座ると少し心配そうに言った。
「え、でも相当困っているんじゃ、」
ほとんど面識もないに連絡してくるくらいだ。わらをも掴む気持ちだろう。だが、マダラは困ったように目尻を下げて、の頬をそっと指で撫でた。
「よその争いごとに首を突っ込むのは良くない」
もしも炎一族に手紙を書いて、それが通じず犬塚一族が滅ぼされた場合、生き残りにが恨まれると言うこともあるかもしれない。そう思えば、が助けてやりたいという気持ちはわかるが、それによってが危険になる可能性は否めない。
「この間も波風一族から連絡があったばかりだろう?」
に相談を持ち込む人間は多い。彼女が今まで予言を司ってきた蒼一族出身だからと言うのもあるが、彼女は排他的な蒼一族の中では非常に愛想も良く、気軽に手紙に返答するというのもあるのだろう。
千手一族とうちは一族が今比較的良好な関係を保っているのも、がいるからだと言われている。
彼女と千手一族の次男の嫁は姉妹であり、そちらに話を通してくれる可能性もある。そのため様々な書状が持ち込まれており、それに律儀に一つずつ返事を書くが心配だった。
「そ、そっか?じゃあ、置いておいた方が良い、かなぁ。」
は手紙を文机において、小さく一息ついて目をこする。
息子の祝いや相談の書状が多数届いており、それに礼状や返事を書いていたのだが、量が多かったため目がかすむほどつかれている。まだ頭領の妻としての仕事を始めたばかりのには、返さなくても良い書状と返さなければならないものの区別がよくわからないのだ。
「あまり無理はするなよ。」
「うん。」
出産からすでに数ヶ月、とはいえまだ数ヶ月だ。この時代出産後に体調を崩して死ぬことも珍しくはないので、気をつけるに越したことはないだろう。無理も避けるべきだ。
「明日、前言っていた北の集落の偵察に行く。」
マダラは淡々とした様子で言った。
昨年から予兆はあったが、うちは一族が住んでいる場所から森を越え、湖を越えた場所にある平野で、大きな争いがあったのだ。最近多くの一族が同盟するようになったが、反面争いはかつての規模を超えるものとなった。
幸いこのあたりまで及ぶ影響はあぶれてきた者たちが強盗に入る程度だが、おそらく森の向こうは酷い状態だろう。
「おまえも、行くか?」
「行きたいと思うんだけど、危ない?」
「ほとんど残党くらいだと思うがな。あまり離れないなら。」
前から行く予定だったが、マダラはあまり争いごとにを関わらせたくないのか、目尻を下げてに言った。それはやはり、の妹である愁が戦いが怖くてあまり千手一族に戻りたがらないという事実も手伝ってのことだろう。
「・・・戦いを怖いって思うことはあっても、マダラさんを怖いって思うことはないと思うよ。」
は苦笑して、マダラの頬をそっと撫でる。
「おまえは戦いがどんなに残酷か、知らないからそう言うんだ。」
マダラは悲しそうに目じりを下げた。
「うそ、マダラさんはわたしがマダラさんに怯えないかを怖がってる。」
は冷静にマダラの心境を見抜いている。
彼はが心配だと言うよりは、戦いの現実を知ったがマダラを恐れ、距離を置くことを危惧しているだけだ。
「わたしと、愁は違うよ。」
の妹の愁は完全に今、扉間を、そして嫁ぎ先である千手を敬遠している。それは戦いをしなかった、知らなかった蒼一族故に、戦いだけでなく彼らをも恐ろしくなったからだ。しかし、マダラに攫われた時には死すらも覚悟していた。
なんの覚悟もなかった愁とは違い、ある程度の残酷さはも覚悟していた。もちろん想像の域は出来ないが、それでもマダラを嫌うことはないだろう。
「それに、わたしも子供たちを守らなくちゃいけない。」
愁はまだ子供もいない。離縁という形で逃げ出すことも、蒼一族に帰ることもできる。
だがは既に嫡男の生母だ。例えマダラが死のうとも、が蒼一族に帰ることは二度とないだろう。うちは一族と共に生き、そしてうちは一族の墓に入るのだ。そして母である限り、うちは一族である子供たちを守る義務がある。
「…俺は…。」
「わたしは子供たちを守りたいんだよ。」
この戦乱の中で、彼らが頼れるのは両親と一族だけだ。うちは一族が子供たちの揺りかごならば、も知らなければならない。守らなければならない。狼狽えることがあったとしても、迷ってはいけないのだ。子供たちを守るのは自分なのだから。
マダラはの紺色の瞳をじっと見ていたが、表情を歪めてを自分の方へと引っ張った。
「おまえがいなくなることを、俺は考えたくない。」
を突然強く抱き締め、言う。
「だから、あまり出て行こうとしないでくれ、」
行動範囲が広がれば、マダラが守れる範囲から出てしまう。不慮の事態はいくらでもある。うちは一族を憎く思っている一族も沢山ある。既に子供が二人、蒼一族から迎えた妻を寵愛しているという話は、他の一族にも出回っている。戦う事を知らない蒼一族出身のは格好の獲物だ。
「俺の元から、離れないでくれ。」
心も体も、どちらもがマダラの傍にいてくれなければ意味がないのだ。
はマダラの言葉をただ静かに聞いていたが、そっとマダラの背中に手を回して、彼の強い腕に身を委ねた。
柔らかで、生ぬるい風が頬を撫でていく。
夏はまだ過ぎ去らず、秋はまだ遠い。静けさの訪れる冬を待ちわびている人々がいる事を、誰もが知っていた。
なくしたくない