がマダラについて森の向こうの戦を見に行ったのは、夏が過ぎた頃だった。


「生臭い、」



 は近くに来ると、眉を寄せた。



「仕方がない。廃墟と化した村が近いからな。」



 マダラは淡々と言って、辺りに警戒の目を光らせる。それは弟のイズナも一緒で、他のうちは一族の面々にも緊張が透けて見えた。

 この周辺は数ヶ月前まである一族の住処だった。しかし彼らは一週間前に争いに巻き込まれ、ほぼ壊滅した。残党の一部は森の向こうにあるうちは一族の集落までやってきて、その領域を侵犯したと言うことで殺されていた。残党の一部が強盗を働く事はよくあるからだ。

 集落の中央にある屋敷に住むは、そのことを知らない。ただこの場にある残骸しか、理解出来ていなかった。



「…川の向こうに、いくつか集落があるね。」

「人はいるか?」

「動いている物は、ないみたい。」



 は透先眼で辺りを見回し、近くに集落があるのを見つける。だが、その集落はすすけてあちこちが崩れており、人の気配はない上、動く物も無い。透先眼はもともと、人間の目というのは基本的に動くものを負うように出来ているが、そこにあるのは今となっては廃墟のみだ。

 もちろん隠れている可能性もあるが、誰かが住んでいる気配はないし、破壊が酷い。少なくともここ数日、誰かが足を踏み入れた形跡は、一見する限りは見られない。



「どうやら、この辺りは安全みたいだね。」



 あたりの様子を慎重に窺っていたイズナは少し安堵したように言う。

 前までこの辺りに入れば攻撃を受けるのが当然だった。しかし、争いによってこの辺りを領有していた一族はすべて殺されたか、何らかの形でこの地を去ったからだろう。最近、多数あった一族が連合し、大きな同盟を作りつつある。それは今までかつてない大きな戦いを産む。その結果が、この場所にあった。



「透先眼を閉じていろ、」



 マダラはに命じる。



「え、でも。」

「敵はいない。もう確認しただろう。」



 マダラの言葉に、は納得できなかったが、軽く後頭部を叩かれ、目を閉じる。彼の言葉に、並々ならぬ懸念が含まれているような気がしたからだ。



「行くぞ。」



 マダラの短い号令とともに、マダラたちうちは一族は、を連れたまま川を渡る。川にかけられていたはずの橋は完全に落とされていたが、の結界を使って橋を架け、進んだ。

 川に近づけば近づくほど、生臭い匂いが鼻をつき、は着物の袖で自分の鼻を覆う。

 不快なにおいだ。鼻が曲がってしまいそうなほどの不快感を伴う。しかも生まれてこの方、がかいだことのない、不思議なにおいだった。しかし、それを本能が恐れているのを感じる。

 ごくりと無意識に唾を飲み込む。



「…人が…」



 川下を見れば、うつぶせに倒れている人がいた。だが呟いたの肩を、マダラが手を置いてそちらを見せないようにと引っ張る。



「行くぞ。」

「で、でも、」

「生きてはいるまい。ここで戦いがあったのはもう一週間も前だ。」



 最期に水を求めたのか、それとも別なのか、どちらにしても、あそこで倒れ伏している人間が生きていることは絶対にあり得ない。それはこの辺りに立ちこめている生臭い匂いが示していた。マダラは、それが死臭であることを、何よりも知っていた。

 川を越えると、そこにあったのは戦いの後の、ただの廃墟だった。

 突き刺さったクナイや焦げた板の断片。起爆符の破片や割れた岩。何よりも倒れ伏している沢山の忍たちの屍が、無言でたちを迎えていた。



「…っ、」



 は紺色の目を丸く見開き、その光景に呆然とする。

 うちは一族の人間が動くと、真っ黒だった物から煙のようにわき出た虫が、去って行く。そこにあったのは蛆にまみれ、人間の形はもはや頭蓋骨や骨でしか分からないような屍たちだ。夏であるため、腐敗も早く、人だったとは思えない姿。

 はただ喉からこみ上げる吐き気を堪えることができず、蹲る。



「だから、言っただろう。」



 来ない方が良い、と。マダラは蹲って嘔吐くの背中を撫でた。周囲のうちは一族の面々は、ある程度予想していたらしく、肩をすくめての様子に苦笑すら浮かべていた。



「何、なの、これ、」



 は震えて掠れた声で問うて、立っているうちは一族の面々に視線を向けた。だが、彼らは死臭の中、ただ、立っている。立っていないのは、と、屍だけ。



「…皆殺しにされたんだね。」



 イズナは僅かに憐れむように死体を眺める。その瞳には確かに同情は浮かんでいたが、全く驚きの色はなかった。マダラに至っては同情すらも抱かず、ただ前だけを向いている。
 虫に食われるがまま、ただそこで朽ち果てるのを待つ、誰からも悼まれることのない自分と同じ人だったもの。うちは一族の誰もが、彼らを悼む感情を持ち合わせていなかった。あまりに当たり前すぎて、慣れているのだ。



「ひどい、」



 は首を横に振って、喉から突き上げてくる物を堪えるように口元を押さえた。

 幼い頃から戦いを知らずに育ったにとって、その光景は幼い頃書物で見せられた地獄そのものだった。蛆にまみれた真っ黒の眼孔が、に問いかけている。



「戻るか?」



 ある程度予想していたのか、心配そうにマダラがに尋ねる。その優しさはこの場にはあまりに不釣り合いで、泣きたくなっては近くにある屍を見やった。

 貴方と私となにがちがうの?

 今心配されている自分と、そこに転がっている屍に、どんな差があったのだろう。蛆にまみれ、誰にも悼まれることなく、ただ朽ち逝く彼らと自分は同じ人間だ。どんな違いがあるのか、その答えは決まり切っている。なんの違いもない。

 明日には、自分がその屍になっている可能性だってあるのだ。



「…わたしたちは、だから、」



 は初めて知る。蒼一族が何故結界の中で何百年も引きこもり、ただ自分たちの生だけを求めて生きてきた理由を。

 何を考えて蒼一族が結界の中に閉じこもり始めたのかは分からない。だが、長らく続く戦争を、その残酷さを、予言の力故に知っていた蒼一族は一族を守るために、そして同時にこの残酷な世界を拒絶するために、自分たちを世界から隔離したのかも知れない。

 は外に出て良かったと思った。マダラに会えて、愛した人と子供を産めて、幸せだと心から思っていた。

 だが、今、この場所に立って、屍を前にして、思うのは自分の大切な者たちだ。マダラと、そして自分の子供たち、道に転がっている沢山の屍、彼らになんの違いがあるのだろう。同じ人間だ。自分たちは同じ人間でしかないのに、人の命を奪い、ボロ屑のような死を与える。そして時に与えられる。

 世界は美しいばかりではない。何処までも残酷で、時には牙をむく。人の愚かさとともに。



 ―――――――――――――姉様って、戦い、行った?



 酷く怯えた目で、に問うた妹を思い出す。

 彼女はこの光景を見て、恐ろしくなったのだ。外の世界が。そしてこの屍を作り出すことの出来る扉間や柱間を。



「でもね、わたしは、」



 は自分の腹を押さえる。

 妹と違って、はもう戻ることが出来ない。この腹は既にうちは一族の嫡男を産んでしまった。今となっては、は既に蒼一族の娘ではない。夫であるマダラが死のうと、は蒼一族に帰ることは出来ないだろう。は嫡子の生母なのだ。

 そしてまた、には母親として、子供たちを守る義務がある。




「…だ、大丈夫、」



 はマダラの手を握って、必死で吐き気を堪えて頷いた。彼の大きな手とその温もりだけを頼りに、何とか体を支える。

 結界の中で、緩慢に滅び行く自分たちを嘲笑っていた。あの退屈な場所に何の意味があるのかと、はマダラと出会ってから思っていた。だが、それは大きな間違いだった。

 あの場所は世界のどんな場所よりも、きっと価値のある場所だっただろう。だからこそ、父親は命を賭けて蒼一族のあり方を守っていたのだ。何人も人知れず、遺体も帰ってくることなく死んだ蒼一族のものたちは皆、世界で唯一の平和な場所を、守ろうとしていた。

 例え蒼一族の人間だけの平和だったとしても、限られた結界の中という場所でしか生きられなくても、それは世界で何よりも価値のある場所であり、この戦乱の世で数百年なんの戦う力も持たない蒼一族が生きて来られた、祖先がもたらした何よりの宝だった。


 それをマダラに攫われ、蒼一族を出ていながら自殺せず、生き残ったことでは壊してしまった。

 今となっては、蒼一族は周りの一族と協調し、同じように戦う道を選んでしまった。それは多分、今まで蒼一族が培ってきた努力を踏みにじる行為だっただろう。

 その意味を、は今初めて知る。



「酷すぎる、」



 は小さく、マダラにも聞こえないような声音で呟く。

 道を進めば、女子供と思しき黒焦げの遺体や、子を庇ったまま息絶えた親の屍が転がっていた。黒い眼光がに言う。

 わたしも貴方も同じだ。



「…同じだよ、」



 いつかもそうして屍となるのかも知れない。それでも、自分の子供を最期まで守ろうとするのが、生物として、親としての意志だろう。

 もう、どこにも戻れない。ならば進むしかないのだと、酷く追い詰められた心地がした。


ようこそ残酷な未来の入り口へ