森の向こうの戦場の偵察に行ってから、は少し変わった。



「犬塚一族と、炎一族の話し合いに、同席することにしたの。」



 文机に向かって書状を記しながら、は淡々と言う。



「なに?」

「この間困っているってお話しがあったでしょう?あの話を炎一族に通すことにしたの。中立の人がいた方が良いから、わたしも同席してほしいと、白磁様が仰せで。」

「他の一族の事だぞ?」




 マダラはあまりのことに驚いてに問いかける。

 相談もなかった上に、あまりに踏み込んだ行動だった。炎一族と犬塚一族の争いごとに首を突っ込めば、どちらかに不利益があった場合、恨まれることだってある。それを先日説明したはずだというのに、は同席すると言う。

 それにはマダラとしては同意しかねたが、は書状を記しているせいか、マダラに顔を向けなかった。

 犬塚一族が今住んでいる場所が、炎一族の勢力範囲で、退去を求められていたのだ。この戦乱の世に土地を追い出されれば、生きていける場所は限られる。だが、退去せねば、炎一族とて、生きていくためにその土地を必要としている。

 一つの争いに、終着点は本当にあるのか。そして、それに首を突っ込むことへの危険は。



「うん。わかってるけど、喧嘩になるよりは話し合いの場があった方が良いと思うの。」



 の結論は既に出ているのか、答えは実にあっさりしたものだった。

 マダラに言われても考え直す気は全くないらしい。ふわりとした口調ながらそこにははっきりとした意志の色がうかがえて、マダラは呆然と彼女のつむじを見下ろしたが、彼女の前に腰を下ろす。文机を挟んで向かい側の彼女は、顔を上げなかった。



、これはおまえだけの問題じゃない。うちは一族にも関わる問題だ。おまえに何かあれば、」



 彼女はうちは一族頭領の正妻だ。

 その意義はどこにいっても非常に大きい。他の一族との会議に同席するなら護衛もつけなければならない。簡単な話ではないのだ。



「一応、アスカが護衛についてくれるって。」



 は顔を上げ、マダラを安心させるようににっこりと微笑む。

 アスカはうちは一族の中でも腕利きで、が人質として監禁されていた頃は見張りについたこともあり、仲も良い。またの侍女カワチの兄でもあった。恐らくマダラの危惧は予想しており、あらかじめ話を通してあったのだろう。

 少なくともアスカは、難色を示していたとしても、賛成したのだ。



「わたしは蒼一族の娘だもの。何もないでしょう?まあ、アスカの手を煩わせるのは申し訳ないけど、」



 の予想は、うちは一族の上役たちが、の行動に感化しないと予想してのことだった。それは、あながち的外れの予想ではない。

 うちは一族の中で頭領の妻とは言え、蒼一族の娘であるが軽んじられているのは、今もそれほど変わっていない。嫡男を生み、最近は一族の集会などにも出るようになったためそれなりの地位は約束されているが、彼女が争いに巻き込まれて死んだとしても、うちは一族はそれほど大きな報復に出ないだろう。

 彼女がうちは一族の出身ではなく、血がつながっていないと言うことが、根本的に彼女を軽んじる理由になっているのだ。

 そのことをはっきりと口に出されて、マダラは思わず口ごもる。

 先日戦場の跡地へと偵察に行ってから、彼女は熱心にうちは一族の作戦行動に関わるようになった。前は苦手だった攻撃のための忍術の勉強にも熱心だし、今日は昼にマダラが任務に出かけている間、イズナと一緒に修行をしていたという。

 イズナ曰く、筋は随分と良いらしく、体術も少しずつだが覚えているらしい。

 出産も終わり、体調が整ったことで積極的にうちは一族に関わってくれるのは嬉しいが、急速なの変化はマダラを不安にさせる。



「うん。」



 何に対する返事なのか、頷いて、彼女はまた文机へと向かう。彼女の前に腰を下ろしていたマダラは、文を書くために伏せられた長い紺色の睫を見つめる。胡座をかいた自分の膝に肘をついて、マダラはため息をついた。



「俺が反対だと言ったら、どうする。」



 ぴたりと、彼女の筆が止まった。ただ顔を上げ、丸い紺色の瞳でマダラを綺麗に切り取る。そして困ったように目尻を下げ、笑って見せた。



「知ってる。」



 蒼一族の人間の勘は、9割当たる。人の心を見抜くのが非常にうまく、洞察力に長けている。マダラの答えも、別段予想外ではなかったのだろう。



「・・・」



 驚きもしないの代わりに、マダラの方が眉を寄せる。あたりに視線をさまよわせれば、様々な一族からの手紙が彼女の近くに置かれている。



「何を、誰に返信しようとしているんだ。」



 マダラは彼女が書こうとしていた文を取りあげる。



「それは波風一族へのものだよ。」



 は嘘をつくことも誤魔化すこともなく、はっきりと答えて見せた。



「波風の話は、この間片付いたんじゃないのか?」

「うん。でも他にも相談が来ていて、それへの返信を書いていなかったから、」



 波風一族もまた、炎一族や他の一族と紛争を抱えている。炎一族とパイプを持つ人間は少なく、また今の忍たちの同盟は所詮かりそめでしかない。他の様々な一族の紛争問題は、未だに変わらずそこに存在している。



「まさか、おまえ、来た書状にすべて返信しようとしているんじゃないだろうな。」



 マダラはのやっていることに不安を覚え、尋ねる。

 炎一族との関係が出来た事により、炎一族との問題を抱える一族の多くが、に対して手紙を送ってきている。もちろんそれだけでなく、うちは一族に対して不満や懇願のあるものや、蒼一族としての滴の予言の力を頼るものなど、ありとあらゆる手紙が送られてくる。



「できる限りはしようと思う。」



 は文机を部屋の端に移動し、改めて座布団の上に座り直し、マダラへと向き直る。



「わたしは、何も出来ないけど、出来ることはしたいと思うの。」



 戦う力は、蒼一族のにはない。だが、蒼一族としての非常に優れた勘と洞察力、嘘を見抜く力は、話し合いの場においては大きな武器となるだろう。逆に言えば、彼女の力は、戦いの場ではなく、話し合いの場で真価を発揮する。

 しかしそれは、大きな危険をはらんでいる。



、いつかおまえ自身が恨まれるかも知れないんだ。」



 他の一族同士の争いごとに首を突っ込み、それがうまくいけば良いが、うまくいかなければ理不尽な憎しみが向けられることもある。その意味を、は知らない。身を守る術も持たない彼女が、それらを向けられればひとたまりもないのだ。



「でも、戦いになるよりは、良いかなって。」



 も、それは承知している。きっとマダラたちの世界では、それを理由に殺されても文句は言えないのだろう。だが、だからこそ、は何よりも戦いを恐れようと思う。人の死を悲しもうと思う。そして、出来ない事をしようと思う。

 マダラの心配そうな、悲しそうな顔に少し心がぐらぐらしたが、安心させるようににっこりと笑う。



「だからまぁ、わたしがうちは一族で軽く扱われてるってことは、良いことなのかもね。こうやって勝手をしても、怒られないし。」




 心配を払拭するように軽い調子で言ったのに、彼の表情は晴れない。


「マダラ、さん?」



 名前を呼べば、彼の手が背中へと回って、痛い程に、強く抱きしめられる。その手の震えが、彼の失ってきた者の大きさを示している。彼がその生の中で抱いてきたものよりも、失った者のほうが多いのだと、思い知る。

 は彼の肩にゆっくりと、その温もりをなぞるように頬を埋める。マダラは小さいの体を強く抱きしめ、心を落ち着けた。



「俺は同席は出来ないのだろう?」



 が同席する犬塚一族と炎一族の会合にマダラが随行することは出来ない。うちはマダラがそれをなせば、背後にうちはの利害があるのではないかとあらぬ疑念をかけられるだろう。それはを危険にさらす。



「家で、子守だね。」



 はわざと軽く言って、ぽんぽんと子供にするようにマダラの背中を叩く。いつもが子供たちにそうしているのを見ているマダラは、僅かに目尻を下げ、ため息をついた。



「真剣な話だぞ。」

「わかってる。」



 の声は、高いのに柔らかく、染み渡るような、全てを包み込むような深い響きがある。それに聞き入るマダラはまるで、彼女に説得されて、納得させられたような気すらした。



「わかってるよ、」



 マダラの不安も、心配も、すべて彼女はわかっているのかも知れない。わかった上で、戦えないからこそ、この道を選んだのかも知れない。本当は、彼女の手を離すのが怖いのはマダラだと言うことも。



「早く帰らないと、またマダラさんが寝不足になってしまうしね。」



 が炎一族に人質として捕らえられた時、幼い長女のアカルは母がいないためか夜泣きも酷くなり、侍女のカナがまいってしまうほどだった。だからもしもがまた帰ってこなければ、夜に面倒を見るマダラがまた寝不足になるだろう。


「勘弁してくれよ。」



 マダラの本音は、その短い言葉の全てだった。



異なる祈り