犬塚一族の当主シコウと、炎一族宗主白磁の会談は、二つの一族の境界線上で行われた。外にはそれぞれの一族が待ち構えているが、会談の舞台となった屋敷に入ることは許されない。会談に立ち入ることが許されているのはそれぞれの一族の長とその部下ひとり、仲介者である蒼一族のと護衛であるうちは一族のアスカだけだった。
マダラはの身の安全だけが心配で、屋敷の外で待つこととなっていたが、話はあまりにすぐに片付き、マダラが屋敷の中に招き入れられる頃には、いつの間にか楽しそうな話に変わっていた。
「結局ね、開墾してもらうことになったの。」
戸惑いを浮かべるマダラに、はいつも通りのんびりした口調で報告をしてきた。
本来炎一族がの領域に犬塚一族が現在勝手に入り込み、暮らしており、炎一族の要求は犬塚一族の退去であった。しかし、この戦乱の世で、犬塚一族とてその場所を動けば、他の一族の勢力範囲に入り込み、下手をすれば殺されることを理解している。
退去し、他の一族と戦うか、炎一族と戦うか、犬塚一族に退路はなかったはずだ。
「開墾?」
マダラは彼女の言葉の意味は知っていたが、それが炎一族と犬塚一族の妥協点を示す言葉だというのがよくわからなかった。戸惑うマダラの代わりに犬塚一族の当主シコウと、炎一族の宗主白磁が肩をすくめて諦めたように笑って見せる。
「そうだ。住むことを認めようと思う。」
白磁はその灰青色の瞳を細め、肩をすくめた。
「・・・なに?」
あっさりとした妥協に、マダラは漆黒の瞳を見開く。それが簡単な妥協ではないことを、マダラはうちは一族の頭領であるからこそ知っている。
自分たちが持つ縄張りに他の一族が入り込む。敵になる可能性がある者たちが自分たちの領域に入り込むことを、一族は許さない。それは自分の一族を危険にさらす可能性を孕むからだ。マダラの立場だったとしても、絶対に許可はしなかっただろう。
「かわりに我々は炎の一部地域の開墾を担うことになった。」
シコウは苦笑しながらとげとげの漆黒の髪を軽く振り、顎髭を撫でた。
犬塚一族の当主シコウは40程の年齢の男で、大きな犬を操り、共存している。彼らは鼻がきき、穴を掘るのも得意だ。開墾であれば確かに、十分にその役割を果たすことが出来るだろう。
だが、本当にそうするつもりだろうか。そのような約束を、本当に守るとでも思っているのだろうか。
「マダラ殿にも同意してもらわねばならぬから、座ってくれ。」
白磁は穏やかに言って、マダラに席を勧める。マダラは少し訝しんだが、の隣に腰を下ろした。
「あのね。約束を守っているか、一ヶ月一回会いに来てもらおうと思って。」
は両手をそろえ、にっこりと笑って見せる。
「は?うちは一族にか?」
意味がわからず、マダラはに問いかける。
普通に考えて、一ヶ月に一回も他の一族の長がうちは一族の屋敷に来るというのは、利害関係がないとはいえ、おかしな話だ。
は少し考えるように首を傾げて見せてから、口を開いた。
「うん・・・わたし、嘘つきがわかるから。」
の言葉を理解すると同時にマダラは驚愕し、自分の額に手を当てる。
「そういうことか。」
蒼一族の勘は9割方当たる。
マダラがの前で素のままいられるのは、誤魔化しても、彼女がそれを見抜くからだ。イエス、ノーの選択なら、ほぼ間違うことはない。彼女は誰よりも確かに、嘘を見抜くのだ。
要するにここで定めた約束を守っているのか、守っていないのか、それを当主たちの顔を見るだけで理解出来るのだ。定期的に会いに来るというのは、のご機嫌伺いなどではなく、約束をきちんと履行しているのか、二心がないかを見抜くため。
当主たちが来なくなれば、それは二心があるという証拠となる。
「だが、その約束が破綻した場合はどうする。」
確かに、は嘘を見抜ける。だが、その約束が破綻した場合の確約は必要だ。ましてや明らかに炎一族の方が犬塚一族よりも大きく、対等とは言えない。都合が悪くなれば犬塚一族を全て皆殺しにするくらいの力が、炎一族には十分にある。
「余は別に必要ない。余と炎一族には十分な力がある。」
炎一族の宗主白磁は「しかし」と付け加え、に優しく笑って続けた。
「それではあまりに犬塚と不公平だ。だから一つ、余の力をに預けた。これで、公平であろう。」
「・・・脅すようなことを言って申し訳なかった。」
犬塚の当主であるシコウは白磁に深々と頭を下げる。
シコウと彼が率いる犬塚一族は、今住んでいる土地を追い出されれば行くところがない。だから炎一族を襲うことも、何でも出来ると、炎一族を脅したのだ。当然白磁も力で脅されれば、力で答える。脅しごときに屈さないと言い捨てた。
だが、シコウと犬塚一族が本当は追い詰められ、限界であることを、そして白磁がこの間妻を殺されたが故に戦いを望んでいないことをは承知していた。犬塚一族の追い詰められた心境と、炎一族の争いを回避したいという本心を、は簡単に口にし、約束に変えた。
「いや、我らの方がずっと大きな一族。恐れ、必死になって当然だ。汝も一族を守らねばならぬ長ゆえ、致し方なきこと。」
白磁は穏やかにシコウに返した。その姿は先日まで紛争を抱え、殺し合いを目前にしていた一族の長同士とは思えない。
本音を理解し合えば、必要なことがわかる。腹を一度見せ合えば、望みがわかる。無駄な争いごとを少なくともいくつかの条件で、回避することが出来るのだ。
「妥協してくださったこと、白磁さまにも、シコウさまにも感謝いたします。」
は白磁とシコウに深々と頭を下げてから、顔を上げ、柔らかく微笑む。
「マダラ殿とうちは一族には申し訳ないが、一ヶ月に一度、殿に会う許可が欲しいのだ。うちは一族にとって負担だろうとは思うが。」
白磁はそう状況の飲み込めていないマダラに説明した。
会談に関係のないマダラをこの場に呼んだのは、がマダラの妻であり、うちは一族の屋敷に住んでいるからだ。
他の一族の頭領が訪れるというのは、本来簡単なことではない。
それはお互いの頭領を危険にさらす。利害関係が今なかったとしても、これから出てくる可能性も十分に考えられる。しかし、はこの約束事の要だ。
「あまり迷惑がかかるなら、わたしが、会いに行ったほうが良いかな。」
はうちは一族を他の一族が訪れるという危険性を、理解している。そのため、気遣わしげにマダラを見上げてきた。
確かに、が他の一族の頭領を訪れる方が本来であれば丸く収まるだろう。だがそうすればの安全は保障できない。もしもふたりのうちどちらかが心変わりすれば、身を守る術を持たず、僅かな護衛とともに訪れるであろうは殺される。
「いや、俺はあまりおまえを危険にさらしたくない。屋敷かどうかは別だが、場所は提供しよう。ただし、の安全が第一だ。」
住処がはっきりと判明すれば、まずい場合も十分にあるため、住んでいる屋敷で、というわけにはいかない。だが、場所を整えるくらいのことは出来る。
「かたじけない。」
シコウは実に素直にマダラに礼を言った。白磁も深々と頷く。
その後何時間にもわたって、シコウと白磁は自分の家族や一族、様々な話や悩みを楽しそうに冗談を交えながら話していた。正直マダラにはそれがとてもくだらない話し合いに思えたが、はにこやかに微笑み、紺色の瞳を細めてたまに相づちをうち、楽しそうに話を聞いていた。
マダラはそれを見ながら何も言えなかった。ただ彼女が幸せそうに彼らの話を聞くのを、眺めていることしか出来なかった。
変革の始まり