「ごめんね、別にマダラ義兄上と姉上の邪魔をする気はなかったんだけど、僕もー無理だよ。」
うちは一族を訪れたの弟・萩は出された肘掛けに突っ伏して、疲れたようにどんより息を吐く。
今年でやっと13歳になる彼は、幼いながらも蒼一族の当主だ。長姉のはうちは一族の頭領のマダラに、次姉の愁は千手一族の頭領の弟である扉間に嫁いでいる。二つの一族が休戦協定を結び、それぞれ一族が寄り集まってひとつのまとまりを形成しつつある現在、主流となる二つの一族のどちらにも縁戚関係を持つ蒼一族は今のところ安泰だ。
蒼一族は30人程度の小さな一族だが、血継限界・透先眼の能力の特殊性から、他の一族からも敬われている。元々神事を司ってきた一族だからと言うのもあるのだろう。
だが、問題が全くないわけではない。
「・・・やはり、だめなのか。」
マダラはぐったりとしている義弟に尋ねる。
「全然駄目。」
萩は顔を上げ、肘置きに顎を置いて目尻を下げた。
「何が、駄目なの?」
は自分とよく似た弟の顔を眺めて、首を傾げる。だが、萩はなかなか口を開かなかった。
蒼一族の当主としてそれなりに忙しい弟が、姉の嫁ぎ先であるうちは一族を訪れることはよくあるのだが、それはあくまで一族同士の話し合いが主で、こうして個人的に訪れることは少ない。それも随分と困っているようでは弟が心配になったが、マダラは理由を知っているようだ。
「どうしたの?」
は今度はマダラに尋ねる。
「・・・」
マダラは少し目尻を下げて口を開いたが、言いづらいことだったのか、萩の方に目を向けた。
「マダラさん?」
彼の表情が酷く不安そうに見えて、は訝しむ。
が戦場を見に行き、ショックを受けてから、彼はたまに酷く不安そうな目をに向ける。確かに朽ち果てた遺体は衝撃的すぎて、は言葉も見つからなかった。戦って生存権を獲得してきたマダラたちもまた、同じことをしているのだろう。それを、は酷く悲しく思う。
だが、だからといっても、マダラの側を離れようとは思えない。すでに子供を二人も産んでいるはもう、子供たちを婚家であるうちは一族において蒼一族に帰るなど、出来はしない。恐怖も悲しみも押し殺して、割り切って覚悟を決めるしかないのだ。
だから、納得している。
「何があっても、マダラさんが心配するようなことはないよ、」
彼の漆黒の瞳をまっすぐに見て、はそっと彼の頬に手を伸ばして優しく撫でる。
一族の長として、戦う一人の人間として、たまにの目には彼が酷く孤独に見える。様々な重荷を背負って立つ彼はきっととても強い人だろうけれど、それでも、辛くないはずがない。重荷を少しでも軽くしてあげたいなんて言うのは、多分の安易な感情だろうが、自分のことで彼を煩わせたくはなかった。
だって、もう答えは出ている。
「わたしはマダラさんと子供が一番大切だよ。」
がはっきり言うと、マダラは心底安堵したような表情で、の手を握った。だがその反応では、彼と萩が隠している内容が、とマダラの関係にも当てはまるようなことだと知る。
「・・・愁に何かあったの?」
はマダラの手を握ったまま、萩の方に尋ねる。と同じ大きな紺色の瞳は一瞬思案するようにふっと左に寄せられたが、すぐに戻ってきてを見た。
9割当たる勘を持つ蒼一族にとって隠し事など無用だ。
「帰ってきてるんだよ。」
「え?どういうこと?」
言わずもがな、萩の一言では潔く理解した。愁は千手一族に嫁いだにもかかわらず、蒼一族に戻っているのだ。
もちろんこの時代も嫁入りをしたとしても、出産などに関しては実家に帰ることが多い。だが、他の一族に嫁げば話は別で、結界の中に引きこもってここ数百年他家に娘を嫁がせることのなかった蒼一族ですらも、他の一族に一度嫁げば戻れないと覚悟している。
それは政略的な問題が多く関わるため、能力的にも逃げられては困るためだ。かわりに、婚家は実家と同じだけ丁重な待遇を約束する。
実際にもマダラに嫁いでから、蒼一族に戻ったことはない。現在は蒼一族とうちは一族は非常に友好的な関係にあるが、弟の萩や、妹の愁がうちは一族を訪れることはあっても、出産の時ですらが蒼一族に戻ることはなかった。
愁も千手一族に嫁いでいる。本来ならば蒼一族に里帰りなど、到底認められることではないはずだ。
「あの子は一体何をやっているの。」
は眉を寄せ、珍しく少し声を荒げて思わずそう口にしていた。
「姉上、」
「こういう言い方はしたくないけれど、愁だけの問題ではないの。もう裳着を済ませ、嫁いだ限りは婚家に殉ずるべきでしょう。」
女性が14歳で嫁ぐというのは、この時代幼児死亡率も戦死する子供の率も高く、早くたくさん子供を産む事が求められるため珍しいことではない。
ましてや小さく、結界内に引きこもっていたとは言え、蒼一族の当主の姉妹ともなれば、家のために嫁ぐことは当然だ。もちろん政略的な意味合いでなく、はマダラを愛しているが、その結婚が蒼一族との兼ね合いの元にあることをは理解していた。
千手に嫁いだ愁も同じだ。千手が比較的自由で甘いことは聞いているが、だったとしても、実家に勝手に戻るなどと言うわがままは許されるべきではないし、彼女自身もそれを自覚するべきだ。
「、」
マダラはうちは一族にひとり嫁いできたのつらさや忍耐を察して、の背中を撫でる。
確かにはまだ若いが、元から蒼一族当主の姉として殉じなければならないという強い自負はあったし、だからこそうちは一族に正式に嫁いでからも精一杯マダラをサポートしている。うちは一族に嫌な顔をされても、うちは一族の中で努力をしている。実家に帰りたいと口にしたことは一度もない。
それは親を早くに亡くし、3人姉弟の長姉として、親がいなくなってから小さな一族を切り盛りしてきたからだろう。
のんびりしていても、存外しっかりしているのだ。覚悟もある。
だがおそらく姉に守られ、ただ望まれて千手に嫁いだ愁は恐らく、それほどきちんと考えてはいないだろう。元々彼女は義務感に薄かったから、なおさらだ。
ただ、きっとそれだけではない。
「そうなんだけど、戦いも怖いし、何も見たくないって、閉じこもっちゃっててさぁ・・・」
萩は心底困り果てて、げんなりした様子で言う。
愁とて、何の覚悟もなく嫁いだわけではなかっただろう。だがおそらく、想像を超えていたのだ。人を殺すことは愚か、傷つけることもしたことがない蒼一族の中で育っていながら、そのすべてを、遠目の力を持つ目で見る。
そのつらさに、彼女は耐えられなかった。
「千手も黙認らしい、」
萩は千手にすぐに連絡を入れたが、相当病んでいたらしく、しばらくは預かっていてくれて良いと言われていた。もちろん千手も愁の透先眼がなければ任務が円滑に進まなくて困っているだろう。だが、愁が心を壊してしまうことを危惧するほど、彼女は病んでいたのだ。
「だから、ね。」
萩は言って、探るような視線をに向ける。
「馬鹿ね。わたしは大丈夫に決まっている。」
マダラの手に自分の手を重ねたまま、萩を安心させるようにゆったりとはマダラに目を向ける。彼らが危惧しているのは、愁のようにが病んでしまうのではないかと言うことだ。
しかしそれは杞憂に過ぎない。もともと弟妹を背負って立ち、今は守らなければならない子供がおり、心から夫であるマダラを信頼している。弱い、自分が守るべき子供が存在し、隣を歩むマダラの苦悩を知っている。うちは一族で生きていくしかないは覚悟が違う。
「秋に、大きな戦いがある。」
萩は目を伏せて、息を吐いた。
森の向こうで大きな戦いがあったことはすでに知っている。うちはと千手が手を組んだように、多くの一族が手を組み、協力体制は同時に大きな争いを生む。だが、協力体制は今だ不完全であり、共同の抗戦は初めてのこととなる。当然うちは一族にとって透先眼を持つだけでなく、蒼一族、そして他の一族とつながるは、重要な存在になるだろう。
愁がその役割を果たすことが出来ない今、の重要性は大きい。
「まあ、戦いで役に立つかどうかは、わからないけど、それ以外は役に立てるように頑張るよ。」
は柔らかに笑ってマダラを見上げる。
多分、はまだ、戦いが一体本当にどんな物であるか、理解していない。それでも、どんなに悲しくても、悔しくても、傷ついても、自分がくじけるわけにはいかないと、それだけは強く心に言い聞かせていた。
終わりの始まり