マダラがを連れ出したのは次の日だった。



「・・・おまえ、本当に飛ぶのが下手だな。」



 枝から落ちたに、思わずマダラはそう言ってしまった。



「ごめん。」

「謝ることじゃない。仕方ないことだ。」



 蒼一族は結界の中で他の一族と関わらず、争いに距離を置き、結界の中で引きこもって暮らしてきた。蒼一族の勢力範囲は泉近くの一区画に限定されており、長距離を移動することなどなかっただろう。結界の外に出ず一生を終える蒼一族が木々の間を飛ぶのが下手でも、おかしくはない。むしろ自然だ。



「完全に捻挫だな。」



 マダラは立ち上がればふらつくの足を確認し、そう結論づけた。



「本当にごめんね。犬神口寄せしようか。」

「良い。それに急ごう。おぶされ。」



 マダラはの前に膝をつく。せかされ、は少し躊躇いながらもマダラの後ろから手を回した。



「もう何年ぶりだろう。人におんぶされるなんて。」



 の母は、弟の萩を産んですぐに亡くなった。をマダラが攫った時、父親も既に亡くなっていた。結界から出た時に捕らえられ、敵の情報を蒼一族に伝え、自害したと聞いている。それからは長女として幼い弟と、妹を守ってきた。そう、妹と弟を負う側だったのだ。

 だから、最後に背に負われたのは父がいた頃のことだろう。



「おまえ、父親が亡くなったのはいつなんだ?」

「わたしが、裳着の儀式を行ってすぐだから、10歳前だったかな。」



 名家の娘は比較的成人の儀である裳着の儀式が早い。子供の死亡率、平均寿命も戦死が多いため、女が嫁ぐのは名家であればあるほど早いのだ。蒼一族の当主のの裳儀が10歳前だったとしても全くおかしくはない。

 ただ、今でも童顔のを思えば、10歳などせいぜい8歳前後にみえたのではないかと思う。



「しっかり掴まれ。イズナに追いつかれても困る。急ぐぞ。」




 ふたりで一族から離れているわけで、真面目な当然イズナにバレれば大目玉を食らうだろう。存外ルールに厳しいのがイズナだ。



「どこに行くの?」



 が鈴が鳴るような柔らかい、高い声で尋ねる。



「昔、うちは一族の集落があったところの近くだ。」

「なんか、結構移動するんだね。」

「生憎おまえらのように引きこもっていないからな。」



 敵の襲撃があれば、暮らす集落の場所は敵に見つからないように変える。そうして大きな戦いとともに住処を転々とする。そのため、一所に留まるのではなく、いくつか本拠地を持つのが、自分たちの常だった。

 そもそも蒼一族のように一地域に結界を張って定住している方がおかしいのだ。



「うちは一族ではいつから戦うの?」

「俺が初めて戦ったのは、5歳くらいか。」

「えぇ!?」

「その頃に、ハゴロモ一族に襲われたからな。だから俺たちは住処をよく変えるのさ。」



 突然敵に奇襲される場合もある。そうすれば武器を持てる年齢の子供は皆戦う。武器が持てるようになれば皆戦い、そして容赦されず殺される。実際にうちは一族がハゴロモ一族に襲撃された時も、マダラよりも年下の子供が何人も殺された。



「5歳か。その頃わたし、父上と一緒に、途方に暮れてたかも。」

「何故?」

「萩の夜泣きが酷くて、眠れなくて、二人で泣いた気が。」



 末の弟、萩の出産とともに母は亡くなったため、その頃丁度は、生まれたばかりの弟の世話を父親とともにしていたのだ。ところが萩の夜泣きがあまりに酷くて眠れず、それが一向に収まらず、父とは二人で寝不足で泣いたことがある。

 ちなみに二つ下の妹、愁は非常に神経が図太かったらしく、その隣で爆睡していた。



「侍女とか乳母はいなかったのか?」

「いないよ。だって蒼一族って30人くらいしかいないんだもの。確かに能力は高いと思うけど、当主の家なんて名前ばかりだよ。」



 実状は大した物ではないとは笑って見せる。

 所詮は自給自足を旨とする小さな一族だ。特別な力の差違や伝えられる物品、忍具の違いはあれ、生活に大きな差はない。それぞれ皆、自給自足が原則である。



「殺されるかもとか、そんなこと考えたこともなかった。」



 母のように病で死ぬことはある。父のように外に出たときに捕らえられ、帰ってこなかった人はいる。だが、結界の中はいつも安全で、幼いが戦いの心配をすることはなかった。殺されるなんて、夢にも思ったことがなかった。

 結界の外に何があるのか、素人すら思わなかった。戦争なんてものを、真剣に考えたことすらなかった。



「うちは一族の噂は聞いていたけど、そんなの、夢物語だったもの。」




 うちは一族、千手一族。二つの優れた一族が近くにあり、争いあっているという話は当主の姉であるため聞いたことがあった。だが、それは別に実際のものではなく、ただ単に、聞いたことがあると言うだけだった。

 他の一族の人間など見たこともないのだから、当然、実感もなかった。



「まさかわたしがそのうわさの一族に嫁ぐなんて、想像もしなかった。」



 の世界はマダラに攫われるまで、結界の中の小さなものだけだった。だから外に出る未来を想像したこともなかった。ただ、結界の中で見知った相手と結婚し、子供を産み、死んでいくのだろうと思っていた。



「・・・こんな高いところ飛ぶと、高所恐怖症なりそうだね。」



 はマダラに背負われたまま下を見て、その高さに怖くなったようだ。マダラの首にまわっている手に力がこもる。



「そうか?普通だぞ。だいたいそんな虚弱なヤツ、馬鹿にされて終わりだ。」



 高所はあたりを見渡せる場所だ。それを怖がっていれば、戦いの中で生きていけない。恐怖症、うちは一族の中では想像したこともないような気弱な話だ。もしもうちは一族でそんなことを言い出せば、弱いと殴られることだろう。



「わたし、小さい頃にマダラさんに会ってたら、馬鹿にされそう。結構のんびりしてたと思う。」

「安心しろ。おまえは今でものんびりしてる。」



 マダラは言って、枝を蹴る。すると少し開けたところへ降り立った。マダラの背中から降りたは、辺りを見回す。

 元々白かったであろう家々の壁面は灰色に朽ち果て、はがれているところもある。格子や窓は朽ち果て、金属の部分は茶色くさびている。見たところそこそこ大きな集落だったのか、見渡す限りそう言った建物が広がっている。



「ここが、昔の?」

「あぁ、俺が子供の頃住んでいた、うちはの集落跡だ。」



 千手一族との戦いが激化し、ここの場所が千手一族にばれてしまったため、別の場所へと移住したが、幼い頃の多くの時間をマダラはここで育ち、悩み、亡くし、探し求め、そして諦めた。

 僅かな感傷と帰ってきたという充足感がそこにある。



「さて、行くか」



 マダラはそう言って、ゆっくりと何歩か歩いて、を振り返る。足を捻挫しているは、ひょこひょこと跳ねるようについてきていた。



「おまえ、・・・なんか不格好だな。」



 先ほどの感傷と似合わない間抜けな足取りに、思わずマダラは吹き出す。



「酷い。」



 は少しむっとして眉を寄せ、マダラを睨む。だが目尻が下がっているためちっとも怖く見えず、マダラは思わず腹を抱えて笑ってしまった。


遠出