当然のことだが、うちは一族の屋敷に戻ると、イズナがこれ以上ないほど怒った状態で、マダラとを迎えてくれた。
「兄さん、何考えてるの。」
どうやら、マダラがいない間、彼がマダラに化けて雑務を行っていたらしい。は怖いので早々にイズナの隣を抜け、子供たちを見に部屋に戻った。
「ごめんね。」
が戻ってきたのがわかり、急いでアカルを連れてやってきた侍女のカナに言うと、彼女らは首を横に振った。
「イズナさん、怒ってた?」
「そりゃもう。」
カナは肩をすくめて苦笑して見せた。
詳しくどこに行くとは言っていないが、は自分の侍女ふたりには出かける可能性があるかもしれないとは言っておいた。そのため、の不在を聞いても、侍女二人はイズナほどは焦らなかっただろう。幼い娘と息子の面倒をよく見てくれていたようで、見る限りアカルには問題がなさそうだった。
「たたさま、」
アカルは嬉しそうにに抱きついてくる。一日母親が不在で寂しかったのだろう。アカルを抱き上げ、はマダラに似たさらさらの漆黒の髪に顔を埋めた。
「あ。カナ。厨房に行ってマダラさんが持って帰ってきたイワナを塩焼きにしてもらってね。」
がカナに命じると、カナは少し驚きながらも「かしこまりました」と頭を下げ、廊下の外にいる人に厨房への連絡を告げた。
「夕食に出してくれると言うことです。」
「良かった。楽しみね、アカル。
がアカルにほほえむと、アカルは「ん。」と頷いて見せた。
もう2歳近くなれば大人の食べれるものは、だいたい食べれる。イワナも骨にさえ気をつけてやれば、一緒に食べれるだろう。
「カナとカワチも食べてね。かなりたくさんつれたから。」
「マダラ様がおつりに?」
「そうなの。わたし、一匹も釣れなかったの。」
が口をとがらせて言うと、カナは口元に手を当てて吹き出した。
イワナは警戒心の強い魚で、慣れなければなかなか釣れない。森の中で育ったならば釣りすらしたことがないだろうから、イワナは強敵だったことだろう。
しばらくするともう一人の侍女のカワチが、の息子であるイズチを抱えてやってきた。
「おかえりなさいませ。・・・やはり、離乳食はおいやなようで。」
ちょうど時期的にも良いので、少しイズチにはがいない間、乳ではなく離乳食を与えてみてくれと言ってあったのだが、あまりうまくいかなかったようだ。
「まあ、わたし、乳の出は良い方らしいから、良いんだけど。」
はずっしりと重たい息子を抱き取り、着物の襟をくつろげた。
若くしての子供と言うこともあり、皆心配していたが、幸いは非常に健康で、さらに乳の出も良かった。乳母をつける必要がなかったのも、アカルの場合はが子供を手元から離すのを嫌ったという面もあったが、嫡男のイズチの場合は、必要ないだろうとのことだった。
「確かに、父のでもよろしいですし。うちは一族には妾の風習もございましたが、様は健康そのもの。お子様がふたりもおりますもの。」
「それに、マダラ様は様にぞっこんですからね。そんな心配どこにもありません。」
カワチは戦いにも出るほどの手練れであるため、男性からの必要性を語る。だがカナの方は女性らしく、感情的な部分をのんびりと手をそろえて付け加えた。
「ありがとう。」
は息子に乳をあげながら、笑う。アカルは弟をのぞき込みながら、興味があるのかたまに弟の頬を指でふにっと押してみていた。柔らかそうな頬に手を伸ばして、感触を確かめたくなる気持ちはよくわかる。それはたまにマダラもすることで、は眼を細めて娘に笑った。
「終わったら、一緒に遊ぼうね。」
がそう言うと、アカルはぱっと立ち上がり、部屋の端においてあった鞠をの方へと持ってくる。は着物を整えてから、侍女のカナに息子を抱き渡した。
アカルの持っている鞠はが作ったもので、中にゴムが入っていてよくはねる。それだけでなく裁縫が得意ならしく、美しい糸で幾何学模様を描いた鞠は誰の目から見ても美しい出来で、一部のうちは一族のものが同じ装飾のものをほしがったらしい。職人が困って作り方を聞きに来たこともあった。
いくつか作ってあるのだが、アカルは赤から白へのグラデーションのの花が組まれた鞠が好きで、今ではそれを持っての元へ遊んでほしいとやってくるのが常だった。運動神経も良いのか、ちゃんと鞠自体も受け止めるようになってきている。
「たたま、だっこ。」
アカルはにその白くて小さな手を伸ばし、片手でだっこを強請る。片手は鞠を持ったままだ。は幼い娘を抱き上げ、障子を開ける。
「あら。」
廊下の向こうから、首の後ろを押さえたマダラが歩いてきていた。後ろにはまだ小言を投げかけているイズナがいる。
「兄さん、わかってる?兄さんのしたことはあり得ないんだよ。」
「わかったわかった。」
確かに勝手に出かけたのは悪かったし、あり得ないと自覚もある。だが、流石に小言が長かったのだろう。適当にあしらうが、その態度がイズナの怒りを煽っていることを気づいていないのか、早々に部屋に引き上げる気のようだ。
「ててまー!」
アカルがマダラを見て甲高い声を上げる。するとマダラは顔を上げ、の腕の中にいるアカルを見て笑った。
「アカル、一日ぶりだな。良い子にしていたか?」
「良い子にしてたって。外で鞠遊びをしようって言う話だったの。」
「そうか。」
が説明すると、マダラは頷いてアカルをの腕から抱き上げる。マダラはよりも背が高いため、抱き上げられるのが面白いのか、アカルは歓声を上げて彼の首に抱きついた。
「・・・もだよ。勝手に出かけるなんて、」
まだ怒りが覚めていないのか、イズナはにも視線を向ける。
「え。えっと、」
はなんと返して良いかわからず、視線をそらしてマダラの方へとそれを向ける。そしてマダラの大きな体を縦にするように、彼の後ろへと隠れた。
確かにイズナは大変だったかも知れないが、正直としてはマダラと一緒に久しぶりにゆっくり話が出来たし、楽しかったので、二度とやらないとは約束できない。なんで誤魔化すように隠れると、イズナはますます眉を寄せた。
一瞬即発の雰囲気に、障子からの侍女のカナとカワチも、嫡男のイズチを抱えたまま、事の成り行きを見守っている。
ただ、うちは一族で誰よりも恐れられる男は、平気な顔をして娘を揺らし、口を開いた。
「おじちゃんは怒りっぽいな。」
ぴしりと、空気にひびが入った気がした。はこそっとマダラの表情を見上げるが、彼はいつも通りで、顔色一つ変えない。だが、勝手な行動をした兄の言い方は、十分イズナの逆鱗に触れたのだろう。イズナは腰に手を当てたまま、少し背の高いマダラを睨み付ける。
「だいたい兄さんはね!?」
先ほどアカルが上げた声よりも耳につく声で、説教を始めたイズナに、マダラは少し驚いたのか、目を丸くする。だが、当然もっと驚いたのはアカルの方だ。
「・・・うぅ、え、ええええ!」
いつも優しい叔父の剣幕に叱られたと思ったのか、マダラの腕の中にいたアカルが泣き声を上げる。
「え、・・・ご、ごめん。」
イズナは慌ててマダラの腕からアカルを取り上げ、あやす。あやすのに必死すぎて、怒りは忘れてしまったらしい。
怒りがそれて、丁度良かった、なんて顔をしながらけろっとしているマダラを見逃さず、はこの人案外図太いなと思った。
戻る