結界の中に間違えて入った男の子は、とてとてと自分が入ってきた道を迷いなく歩く。
彼は元の道に一度戻って別の道に行けば結界から出られると話すと、結界がわからないまでも元の道を戻り始めた。
「こんなとこに人がいるなんてめずらしいです。」
彼は幼い声音で嬉しそうに言う。
この山は未だに活動を続ける火山であり、麓の村にも人が少ない。
道沿いには人の住める民家がたくさん建っていたが、そのどれにも人の住んでいる気配はなかった。
無人の、人工物。
気味が悪いなとサスケはふっと男の子を見る。
男の子の肩には、白く、揺らぎを見せる鷲のような鳥がいつのまにか止まっていた。
彼の頭よりも大きなそれは、たまに注ェを広げて見せる。
サスケがその鳥を凝視していると、彼はくるりと振り向いた。
「どうしたの?おにいちゃん。」
丸くて黒い瞳が無邪気にサスケを映す。
その視線が居たたまれず、サスケは目をそらした。
子どもは苦手だ。
純粋さ故に傷ついた昔を思い出し、サスケは目を伏せた。
「おまえはこの辺に住んでるのか?」
「はい。この麓にある村にすんでいます。けしきがいいからやまのうえにいこうとおもったんだ。」
彼は近くにあったススキの茎をむしって、振りながら歩く。
「へー、こんなところにも人が住んでるんだね。ま、そのおかげで結界からでられそうなんだけど・・・」
水月は感心したように子どもの頭を撫でた。
子どもは一瞬不快そうな顔をしたが、すぐにころりと笑う。
彼が結界の継ぎ目から入ってきてくれたおかげで、あっさりと出られそうだ。
サスケは僅かに安堵して、息を吐く。
「おまえ、このへんにある研究所の噂を知っているか?」
山頂近くにある大蛇丸の研究所。
それは地元民にどう見られているのだろう。
大蛇丸のことだ、おそらく地元民を攫っての実験もしていただろう。
サスケは大蛇丸の研究を探る意味でも尋ねた。
「んー。わかんない。うらぎりものがやってることだから。」
「裏切り者?」
「うん。ここはほろんだ炎っていういちぞくのひとたちが逃げてすんでたんだ。」
「炎、」
「そうだよ。でもやまのうえにある建物はね、炎がほろんだときに、そうしゅさまをみすてたひとたちがすんでた
とこなんだ。」
だから、しらない。
男の子ははっきりとそういう。
親からそう教えられたのか、その言葉には軽蔑が籠もっていた。
彼も炎一族の者なのかもしれない。
「この辺も裏切り者の住処なのか?」
あたりには住めそうなのに人のいない民家がたくさんある。
ここは裏切り者達の住まいなのだろうか。
「ちがうよ。ここは不知火にいったひとたちのだ。」
心外だとでも言うように、彼はむっとした顔をする。
不知火とは、商業都市だ。
どこの里にも属さない中立の都市で、十数年前に統治者を亡くして荒廃したが、ここ数年統治者の血筋が戻り、
極めて肥沃で農業にも適した土地であることから、大きな発展を遂げている。
「不知火のおさはね、炎のそうしゅさまの。だからみんな不知火にいっちゃった。」
残ったのは一族が滅んだときに宗主を見捨て、不知火に受け入れられなかった裏切り者達だけだ。
研究所にいるのがその炎一族の裏切り者達ならば、彼らは一体、何をしているのだろう。
子どもは歩幅が狭いので歩くのが遅い。
のこともあり、サスケは苛々するがこればかりは仕方がない。
すると、子どもが黒い瞳でサスケを射貫いた。
「だれかをさがしているの?」
「え?」
「なんとなく、そんなきがしたから。」
黒い瞳に冷静な、子どもとは思えない大人びた色を湛えて、彼は尋ねる。
年の割に聡い。
サスケは大きなため息をついて、頭をかいた。
こんな子どもに見抜かれるようでどうする。
そんなに自分は焦っているのかと自嘲すると、子どもがこちらを見ていた。
「あなたはあきらめたらだめだよ。」
子どもらしからぬ、真剣な声音。
低い声は、不思議なほどサスケの心にしみる。
そして感じる違和感。
「どうしたの?お兄ちゃん。」
思わず呆然としたサスケに、男の子が無邪気な瞳を向ける。
もう、違和感は消えて、どう見ても彼は普通の子どもにしか見えなかった。
「この辺、鬱蒼としてるな。」
香燐が虫がつく、と悪態をつく。
霧があたりを囲み、しっとりと髪が濡れる。
僅かに日差しのさすところには、虫が飛んでいた。
「たしかに。きもちわるいよね、この辺くうきなまぬるいし。」
男の子もさらりとその意見に賛同する。
重吾は彼の発言に不思議そうな顔をしたが、水月も頷いて同意した。
鬱蒼とした森を越えると、そこには結界の壁面がある。
「ここからきたんだ。」
男の子の指さす方を見ると、彼の足下に穴が空いていた。
継ぎ目ではない。
完璧な穴だ。
結界の一部が硝子でも割るかのように、いびつに崩れている。
サスケらがかがんでやっと入れるくらいの穴は、しかし子どもが入るのには十分で、道の真ん中に空いているか
ら、普通に通れただろう。
誰が開けたのだ。
一瞬疑問に思ったが、男の子に喋りかけられて、サスケは振り向く。
「おにいちゃん、これ、あげる。」
彼はサスケに手に握った物を差し出す。
そっと手に置かれたのは、首飾りだった。
先端の蒼色の石に紐をくくりつけたそれは、繊細な作りとはいえないが、石が不思議な輝きを放っている。
独特の色合いは、何か意味がある物のように思われた。
「ちちうえからもらったんだ。おにいちゃんにあげる。」
「大切な物だろう?」
聞かなくても、少なくとも高価な品だとわかる。
「うぅん。おにいちゃんに、たぶんひつようなものだよ。おれはしばらくいらない。」
横に首を振って、男の子はサスケの手にそれを握らせると、結界の向こうに出てしまう。
「サスケ、良いの?」
水月が不思議そうにその石を眺める。
誰が見ても、ただの石ではない。
「おい、」
待て、とサスケは男の子に言う。
いつの間にか随分先に行ってしまった彼は、振り向いてにこりと笑った。
「また、こんどは不知火で、」
そう言って、霧の中に消えて見えなくなった。
サスケはもう一度手の中の首飾りをまじまじと見つめる。
なんの石なのだろう。
藍玉のように深く淡い色合いの石。
「サスケ、あの子。おかしいぞ。」
重吾が小さく呟く。
「あの子、この辺は空気が生ぬるいってさっき言っていた。」
そう言われて、初めてサスケと水月は顔を見合わせる。
『たしかに。きもちわるいよね、この辺くうきなまぬるいし。』
確かに、男の子はそう香燐の言葉に答えた。
しかし、この答えはおかしい。
彼がもしも麓の村に住んでいたなら、空気が生ぬるいのは普通のはずだ。
この山ではどこでも硫黄やガスが吹き出しており、空気が生ぬるい。
よく考えたら、結界の穴も子どもが入れるほどの大きさしかない。
もちろん誰かが開けた可能性もあるが、大人ならば、自分の目の前に開ける。
足下に穴を開けるのはおかしい。
そして、どうして彼は首飾りを返そうとするサスケに『また、こんどは不知火で』と返したのだろう。
「・・・・・なんなんだ。」
「謎だらけだね。」
頭を抱えたくなったサスケに、水月が軽く片付ける。
「ひとまず、を探そう。」
香燐が腰に手を当ててそう言った。
「用事はお済みですか。」
恭しく静かに、男は頭を下げる。
短い髪がはらりと落ちたが、男は気にせず青い双眸を伏せた。
「うん。すんだよ。」
幼い男の子は、明るい様子で頷く。
「ごめんね、わがままを言って。いそがしいんだったっけ?」
「そうです。そして幼いとはいえ、貴方にもしていただかなければならないことはごまんとあります。」
「でもまぁ、ユルスンはうちは一族だから優秀だし、別に平気だろ。」
男を引き連れ、彼は肩に止まった鳥を撫でる。
鷲に似たその鳥は、主の意向に従い、その躯を大きくさせる。
「あの方に、お会いしたかったのではないのですか?」
「ユルスンは鋭くて意地悪いなぁ。」
呆れたようにそう言って、彼はころりと笑った。
「良いんだよ。ここで死ぬなら、予め決まっていたんだろう。」
表情とは裏腹に、その声音は寂しげだ。
鷲のような白く輝く鳥は、喜ぶように喉をふるわせ、注ェを落とす。
その羽が木々に触れると、木々は炭化し、炭となって風に吹かれて消えた。
謎の後
( 目に見えない物 わからないもの )