酷い悲鳴を上げてが飛び起きるのは、そう珍しいことではなかった。
「ぁ、あ」
は紺色の瞳を丸くさせて、ぼろぼろと涙をこぼして嗚咽を漏らす。サスケはの頭を手早く抱きかかえて、背中を強く撫でてやった。
「何事だってばよ!?」
「何?!」
の鋭い悲鳴に襖を挟んだ隣の部屋で眠っていたナルトとサクラが跳ね起き、襖を開けて飛び込んでくる。
「静かにしろ。」
サスケが素っ気なく言うと、二人はの様子を改めて見て察したのか、黙り込んで、どうして良いか分からず立ち尽くした。
「ぃ、たち、た、すけて、や、あ、」
悪夢の中を彷徨うには現は見えていない。ただがたがたと震え、怯えているはただ恐怖を訴えるだけで、何も分からない。目の前にサスケすらも見えていない。夢の中に出てきたのだろう、イタチの名前を呼ぶのも、初めてではない。サスケにとってはもう慣れたものだ。
彼女と同衾するようになってから、何度も夜に泣きじゃくる彼女を宥めてきた。
「大丈夫だ、大丈夫だから。」
しゃくり上げて泣くを抱き締めて、繰り返す。
一人だった時、はいつも部屋の隅で小さくなって、声を殺して泣いていた。誰よりも強い力を持つ彼女は、誰よりも人に怯えている。それなのに、人の温もりを求めている。だから、抱き締めて大丈夫だと宥めることが時間はかかるが、それが唯一を落ち着ける方法だった。
「サクラ、電気をつけてくれ。」
「わかったわ。」
サクラは豆電球にしてあった電気を明るくする。は暗所、閉所恐怖症も患っている。部屋が明るい方が落ち着くだろう。
ちらりとナルトが時計を確認するとまだ夜中の2時で、起きるには早すぎる時間だ。
「…ひっ、ぅ、ごめ、ごめなさっ、わ、わた、し、が、わたしを、」
「大丈夫だ。おまえは悪いことを何もしてない。怖いことは何もない。」
サスケは同じことを何度も繰り返す。
うわごとのようにが呟くのは、悪夢に迷い、幼い頃から積み重ねられたどうしようもないの心の闇だ。
いつもは無邪気に笑って見せる。人生に一点の曇りなんてないように純粋に、ただ綺麗に笑って見せる。そこに憎しみも悲しみもなく、憤りを見せることもない。ただただ、彼女はどこまでも素朴で、屈託ない。だから誰もがの育ちを忘れる。
12歳まで外に出ることなく、言語に問題が出るほど人と話すこともなく、何かを教えられることもなく、ただ疎まれ、時には食事すらも和えられず、チャクラを抑える呪印の書かれた部屋に一人、幽閉されていた。
の心の闇は、誰よりも深い。
「…わ、わた、し、いちゃ、だめ、わたし、ここ、」
居場所もなく、彷徨い続ける。よって立つべき人も物も与えられず、ただ過ごした日々と、イタチのみを頼り、よりどころとして過ごした日々。その相反する時間が、を蝕む。
「オレはここにいる。おまえも、ここにいて良いんだ。」
サスケの肩に顔を埋め、すすり泣くはどこまでも哀れだ。彼女がこうやって泣く姿を見るために、己が生まれ育った里である木の葉隠れへの憎しみがサスケの心の中に広がる。
どうして、を幽閉したのだ。
彼女は確かに恐ろしい力を持っていたのかも知れない。だが彼女はまだ子供で、なんの罪もなかった。その力の使い方すら知らなかった。そして、閉じ込められている理由すらも分からなかった。
何故、彼女だけ、
「…」
サクラが泣きそうな顔で、そっとサスケの肩に顔を埋めるの髪を撫でる。結局、が再び寝付くまでに、一時間以上の時間がかかった。
やっと眠ったを見下ろして、彼女の細い体を毛布で包む。
「布団に寝かす?」
サクラはが眠っているのを確認してから、サスケに小さな声で尋ねる。サスケは座ってを抱き締めたままだ。は眠ってしまっている。
「否、抱き締めてないと起きて泣く時がある。」
無邪気な寝顔を晒しているは、穏やかそのものだ。頬を濡らす涙を拭ってやってから、サスケは目を細めた。
は幼い頃から全く与えられなかった人の温もりをいつも欲している。
の心の傷は深い。それをゆっくりといやし、彼女を絶対的に庇護していたイタチは、何も分からなかった彼女に感情を含めて沢山の物を教えた。しかし、同時に彼は彼女に深い傷を残していなくなってしまった。
「最近は少なくなっていたんだがな。」
イタチが死んですぐの頃は、もよく悪夢にうなされて飛び起きていた。また、大戦の後大怪我をしてサスケとうまくいっていなかった時も同じだ。悪夢で飛び起きる回数は、明らかにの精神状態に比例している。
綱手に預かられてから、綱手とともに眠っていたと言うが、そう言った話を聞いたことが無かったから、彼女といるときはそれなりに精神状態が安定していたのだろう。
襲撃は少なからずの心に影響を与えたのだ。
「、いっぱいいっぱい抱えてるんだな。」
ナルトが悲しそうに目を伏せて、を悲しそうに見下ろす。
喪失の痛みを癒やすことは、簡単ではない。それが肉親や恋人であればなおさらだ。時がいやしてくれると言うが、時が喪失を際出されるというのはよくあることだ。はゆっくりと亡くしたものについて考える時間がなかったから、なおさら。
過去に答えを見つけ、徐々に過去を超えていくことは、重要だ。しかしはそうした作業を全くしないまま、ここまで来ている。抱え込んだ闇を闇のまま、彼女は抱えてきた。
闇の中、ひとりぼっちで。
「あぁ、本当は、自分のことで一杯でもおかしくないんだ。」
サスケはを抱き締める。
本当ならばその心の闇だけで、十分辛いはずだ。サスケを庇ったばかりに体の傷まで負って、かつて自分を幽閉した里で生きている。人のためにさける心の余裕など、なくて当然のはずだ。
なのに、いつもは他人ばかり心配して、自分の痛みも闇も置いてきぼりにする。
だから誰よりも追い詰められる。そしてその闇の溶かし方を知らない。抱え込む闇が、彼女自身をどんどん飲み込んでいく。
「さ、自分はここにいちゃだめだって、言ってた、それって、」
「…本心だろうな。」
ナルトの言葉に、サスケは小さくため息をつく。
はっきり言って、悪夢を見た時に言う言葉は、の深層心理から出る。ごめんなさいも、ここにいてはいけないも、が心の中で思い続けているからだろう。
「は、木の葉隠れの里が、家だって、思える…わけないよなぁ。」
ナルトは納得したように目じりを下げた。
正直が里で暮らしたのは12歳まで、しかも一度も外に出たことはなく、ただ疎まれ、閉じ込められていたのみだ。父親の故郷であるのは間違いないが、自分を幽閉した木の葉隠れの里を家だ、故郷だと思えるはずもない。
にとって木の葉隠れの里は自分を保護してくれるからそこで暮らしているだけに過ぎない。それでも、嫌な思い出しかない木の葉にとどまるのは、サスケがともにいるからだろう。
「が、ごめんなんて、謝る必要ないのに、ね。」
ごめんと謝るべきは、木の葉隠れの里であって、ではない。彼女の闇を作り出したのは、里そのものなのだ。彼女はただ、被害者に過ぎない。
例え彼女が力を狙われることによって護衛を出すことになろうが、小隊を組むことになろうとも、彼女は木の葉隠れの里の民であり、当然のことだ。民を守るのは、忍の役目で、それを最初に果たさなかったのは、里なのだから。
「オレは一生、これにつきあうつもりさ。」
夜中に起こされることになろうとも、サスケはの悪夢に一生つきあうつもりだ。彼女が悪夢に捕らわれることがなくなるまで、ずっと。
それがから、彼女のすべてを奪った、サスケの出来ることだった。
闇と隣り合う