夕方には体調も良かったため、はサクラやナルト、当然サスケと一緒に簪屋に出かけた。そこでサスケは初めてにピンを買ってくれた。
「可愛いねぇ。」
銀色の繊細な五咲きの花に、銀色の鎖。そして連なる真珠の簪は、小作りな細工が可愛くて、が簪屋で目をとめた物だ。
それを明け放れた障子から覗く月にかざすと、闇の中できらりと光った。
「上着ぐらい着ろ。」
サスケは少し不機嫌そうにそう言っての肩に持って来ていた厚手の羽織を掛けてくれる。それからの隣に腰を下ろした。
「サスケ、…どうしたの?」
「何がだ?」
「だって…、」
どう表現して良いのか分からず、は口ごもる。どう考えても、前は優しくなかったというのは、流石に失礼この上ない。
の体調を気にしてか、いつも彼は外にを出そうとはしなかった。
前は端近にいると怖い顔で中に入れと怒ったのに、今日はわざわざ上着を持って来てくれた。夕方だって、まさか彼が外に出ることを許してくれる上に、まさか簪屋に出かけるなんてことを許してくれるとは思わなかった。
「このままじゃ、おまえを火影に取られそうだし、いつまでたっても帰ってきてもらえなさそうだからな。」
先日体調を崩して胃潰瘍になってから、は綱手預かりの身だ。
理由はを心配するあまり、サスケが逆にの精神に負担をかけ、ストレスのあまり胃潰瘍になったからだ。サスケは未だにが大怪我をし、歩けなくなり、片目を失ったことに対して大きな罪悪感を持っている。
サスケにとってはイタチの忘れ形見であり、何があっても自分に着いてきてくれた希少な存在だ。誰よりも大切に思っている。
その彼女を自分の勝手で殺しかけ、挙げ句の果てに白炎を解放させて死期まで早めさせてしまった。その後悔は大きく過ぎて、未だにサスケの上に重くのしかかり続けている。その罪悪感に答えを出せず、自分を責めないをどうして良いのか分からず、悲しみを口に出せない代わりにあからさまに不機嫌を装うことが多かったのだ。
それでもの傍を片時も離れられなかったのは、彼女の死が恐ろしくてたまらなかったからだ。に冷たく辺りながらも依存しきっていたサスケに、最初の警告を発してを引き取ったのが、綱手だった。
「え、わ、わたし、綱手様に言おうか?」
はサスケに問いかける。
綱手が心配してくれていることは分かるが、そのことをサスケが重荷に思っているのなら、がサスケの元に戻るべきだ。強硬な姿勢を見せれば、綱手も納得するだろう。
だが、サスケは首を横に振った。
「いや、オレもおまえに依存するのは、良くない。」
サスケは静かな漆黒の瞳をに向けて、僅かに頭を傾ける。
「それに、いつまでもおまえに守られてちゃ、困るからな。」
温かい手が、の頬を優しく撫でる。自分より大きな手は、よりも少し体温が低い。それにも手を添えて、首を傾げる。
この間までサスケは綱手に怒られるほどに冷たく当たっていたし、を綱手から取り返そうと結構必死だった。どんな心境の変化があったのだろうかと少し不安になってサスケの表情を窺うと、小さく笑われた。
「そんなにオレの顔色を窺うな。」
少し悲しそうに目じりを下げられて、はどうして良いか分からなかった。
「ほら、来い、」
サスケは優しく言って、の体を自分の方へと引き寄せる。はそれに身を任せた。隣に感じるサスケの温もりは穏やかそのもので、前から感じていた彼の性急さはなかった。
空を見上げれば丸い月が浮かんでいる。
「明日は綱手様たちとばくち?に行くんでしょう?」
「あぁそれな。」
少しサスケの声音が不機嫌になる。
そういえばナルトも必死で博打にを連れて行こうとする綱手を止めていたし、大蛇丸も綱手の博打にそれ程好意的ではなかった。とはいえ、は“ばくち”が何なのかを全く知らない。
「ばくちってなに?」
「簡単に言えば…ゲームの勝敗にお金をかけるって事だ。」
サスケは短い説明をする。
「…勝ったらお金もらえるってこと?」
「簡単に言うとな。」
「負けたら?」
「当然お金がなくなる。ゼロにもなるな。」
「…ご飯食べられなくなるね。」
「そして金を誰かに借りる。負ける。また借りるってのが、一番最悪なパターンだな。」
はその言葉に目をぱちくりさせる。綱手にあれほど危機感を持ってナルトが止めていたと言うことは、綱手がその一部なのかと内心で疑っていると、サスケはそれを察してか、頷いてため息をついた。
「5代目火影は博打と借金で有名らしい。」
「…」
「ちなみに日頃は博打にもの凄く弱いらしいが、それが当たった時は不吉の象徴らしいぞ。」
豪快で優しく、強い綱手の意外な面だった。それに仮に博打で勝てたとしてもそれが不吉の象徴なんて、ろくな話ではない。
「綱手様、頼りになるのにね。」
はサスケにもたれながら呟く。
医者としても、自分の保護者としても、にとって綱手は非常に信頼が置けるし、優しいし、をいつも気にしてくれる。
「オレは好きじゃないけどな。」
サスケは言って、後ろからの首筋に口づける。首をサスケの吐息と硬めの髪が撫でるのを感じて、はサスケの頭にそっと触れた。優しく撫でれば、サスケは安堵したような息を吐く。
「くだらないことでも、なんでも良いから、オレに言え。」
背中を優しくサスケの手が撫でる。それを感じて、はサスケの顔を見上げた。
「オレは、おまえを失うのが何よりも怖い。」
縋るようにサスケはを抱き締める。
いつもそうだ。彼はを失うことに酷く怯えている。回される腕はイタチのようにを守るためではなく、に縋り付き、離れたくないと泣く子供のようだ。
サスケはいつも、を見ると罪悪感に揺れて悲しい目をする。
は自分が足の機能を失ったことも、片目を失ったことも、彼のせいだとは思っていない。サスケが望んでいなかったのは知っているし、別にがここまでする必要はなかったのだろう。だが、はの願いのためにそうした。
イタチがサスケのことを大切に思っていた。も同時にサスケのことを大切に思っている。
だから、彼を生かしたかった。彼が戻れる場所があるならば戻してやりたかった。彼にはまだ大切だと、彼のことを必要としてくれる人がたくさんいたから。
でも、人と関わって生きて来なかったを必要としてくれるのはただサスケだけだ。
サスケが必要としてくれなければ、はこの世にいる意味がない。なのにサスケに迷惑ばかりをかけ、挙げ句悲しい目をさせてしまうのは、も酷く悲しかった。
「…わたし、」
必要として欲しい、なんでもあげるから。
サスケを傷つけるほどに木の葉隠れの里に協力してしまうのも、力であっても求めてくれるのが嬉しいからだ。求められるのは嬉しい。必要として欲しい。だから、は必要とされたときに必死ですべてを差し出してしまう。
には自分自身の望みがよく分からない。他人に望まれていることが、の望みそのものだからだ。
だから、時々誰でも良いのでは無いかと考える。サスケでなくても、必要としてくれればは嬉しいのではないかと。
その考えはぞっとするほどの心に馴染んで、恐ろしくなる。
「、」
サスケの手が着物をはだけさせ、素肌に触れる。だが、それが何故か怖くて、はびくりとあからさまに体を震わせた。
「どうした?」
の態度に気づいたのか、サスケがじっとを漆黒の瞳で見すえる。
あまりにもまっすぐで嘘を許さないその瞳が恐ろしくて、でも嫌われるのが怖くて、はサスケに自分の体を委ねて、眉間に皺がよるほどきつく目を閉じた。サスケに体を押されて、倒される瞬間僅かに映ったのは、ころりと転がる月だった。
転がる予感