は翌日には一応目を覚まし、口数少なで行儀が悪いとわかりながらも一応布団の上で食事を取った。

 あとは出歩くとサスケが唸るせいか、退屈と口にしないまでも眠れないのか、布団の上でごろごろを繰り返し、時にため息をついたりして緩慢な昼までの時間を過ごすことになった。

 ところが、昼頃菓子に手を伸ばしている時に来た人物を見て、は目をぱちくりさせる。




「誰だってばよ。」




 ナルトは目をぱちくりさせて、その人を見る。

 漆黒の髪に切れ長の瞳、そつなく整った容貌の20代後半と思しき男は、をまっすぐと見据えてから深々と頭を下げた。



「お久しぶりで御座います。」



 低くも涼やかな声は、がイタチがいた頃酷く聞き慣れていた物だ。



「おまえ、ユルスンか?」



 サスケは驚きに目を丸くする。

 幼い頃だが、ちらっと見たことがある男だ。うちは一族の中でも混血で、写輪眼の有無はよく知らないが、少なくとも彼はうちは一族の集会などにも参加していたし、それなりの手練れだったはず。その彼があのうちは一族の虐殺の時に殺されていなかったことにも驚きだったし、こんな所を訪れたことも同様だった。



「…あぁ、イタチ様の弟君ですか。」



 別段興味もなさげに彼は答えた。その態度で、サスケは彼が自分に全くと言って良いほど用がないことを知る。



「その子はイタチがいる時に暁で部下としてついていた男でね。主に姫とその身辺を管理していたのよ。」



 廊下から部屋を覗きこんだ大蛇丸が、にやりと笑って見せた。



「…?」



 サスケは大蛇丸の言葉にを見下ろす。だが当のは布団に横たわったまま出された菓子に手を出そうとしていたが、手を引っ込めて慌てて身を起こした。

 ユルスンに叱られるのは怖い。それがの正直な感情だ。

 イタチが生きている頃、彼はの身の周りの人間の配置や武器の調達、経路の確保など、予備的なことのすべてを行っていた。ユルスンはそれ程強くはないらしいが非常に賢く、見たものは一度も忘れなかったし、身のこなしも完璧で、何をやらせても戦い以外はそつなくこなした。

 ただ、に対して彼は苦言を呈することを臆さなかった。

 皆がはイタチの寵姫だからと敬遠し、距離を置いたり何も言わなかったり腫れ物に触れるようだったにもかかわらず、ユルスンはに忠告することも多かった。

 正直な話、イタチがを怒ることなどほとんどなかった。

 彼は根本的な精神性以外に関してを手厳しく叱りつけることはなかったし、のしたいようにさせていた。部屋を散らかそうが、勝手に傀儡を拾ってこようが、の身に危険が無い限りはせいぜい困った顔をするくらいだった。


 しかし、ユルスンは違った。



 ―――――――――――そうを叱ってやるな。



 イタチはよくユルスンをそう諫めていたがそのたびに彼の答えは決まっていた。



 ―――――――――――忠告申し上げているだけです。



 行儀作法から芸事、日常生活まで、幼い頃に両親を亡くして何も知らなかったに彼は忠告を怠らなかった。もちろん彼の『忠告』は実に的確で、困った子供に躾ける教育ママのように素晴らしかったが、それはユルスンに対するの苦手意識を産んだ。

 とて彼が自分を憎くて言ったとは思っていない。だが、どうしてもは少しだけ彼が苦手だった。

 イタチの死後、彼はトビと手を組みながらも、イタチの遺児と炎一族の旧領である不知火を取り仕切っていたはずだ。それがイタチの遺志だったから。



「…お久しぶり、です。」



 がおずおずとサスケの影に隠れながら口にすると、ユルスンは鷹揚に頷いた。



「体調の方はどうですか?」

「んー、あんまり、良くない、」



 はサスケの前ではいつも大丈夫だと答えるのに、無意識に素直に答える。

 前に曖昧な答えを返した時、主人たちの体調の把握も自分たちの義務だ、と酷く叱られたのだ。彼は確かに厳しい人物だが、の体調が悪ければ的確な対処をしてくれるし、散らかせば片付けを手伝ってくれた。

 そういう点では、苦手だが彼を信用している。



「そうですか。不知火から質の良い絹織物をお持ちしました。お使いください。」



 ユルスンは別段感情のこもらない声で、いつもと同じように告げた。

 不知火では絹を生産している農家などもあるためだろう。は小さく頷いて、彼に「ありがとう」と返す。




「着物類に関しては足りておりますか?木の葉での処遇に問題はありませんか?」

「着物は最近は少し、寒い、かも…。しょぐうはなに?」

「貴方が置かれている状況です。」

「んー、わからない。」

「お調べいたします。」



 そう、いつもは分からないことが多い。彼がに尋ねたところで、理解できないことの方が多いのだ。だからそういう時、彼はいつもお調べしますと答えて、自分で確認を取ってくれる。勉強しろという割に、彼はの無知を責めたことはなかった。

 だから、も彼に任せるのだ。



「あと、起き上がれるのでしたら、菓子を布団の上で食されるのはどうかと思います。」



 ユルスンは一言ぴしゃりとに言う。どうやらめざとく見つけていたらしい。



「…ごめんなさい」



 返す言葉もなく、いたたまれずはこそっとサスケの後ろに隠れた。あまりの容赦ない言いぐさにサスケは眉を寄せたが、ユルスンが解することは当然なく、涼しい無表情を貫いていた。




「えっと、どうしてここに?」

「大蛇丸に呼び出されたと言うのが実際の所ですが、宗主が大層ご心配なさっておられます。」




 がおずおずと尋ねると、ユルスンは無表情のまま実に端的に答えた。

 彼の今の主は宗主、とイタチの息子だ。表向きには商業都市、不知火の主はの叔父である青白宮と言うことになっているが、彼は種なしと呼ばれる未来を残す事の出来ない白炎使いで、本当の宗主はまだ5、6歳と幼い息子だった。

 だから今彼の言う宗主はの息子のことだ。




「…ごめんなさい、」



 がしっかりしないから、彼に迷惑をかけたのだ。が目じりを下げると、ユルスンは首を振った。



「いえ、戦争が終わり、私のやることも減りましたから、しばらくいるようにと申しつけられております。」

「…しばらく?」




 不安げに、そして窺わしげにが問う。



「おいやですか?」



 僅かに、彼が口角を上げた。



「い、いや、嬉し、くはないけど、うん、良いこと、かも?」 



 のあまりにも素直すぎる程素直な答えに、サスケを始め、ナルトも驚く。

 言葉は柔らかいが、ははっきりと彼が苦手だと言うことを公言したに等しかった。木の葉に来てから彼女はほとんど自分の意見を言わず、いつもサスケの顔色ばかりを窺っていたというのに、彼に対しては素直に答えている。

 見る限りどう見てもはユルスンが苦手だろう。だが、信頼はしているのだ。何を言ったとしても、彼が自分に害意を抱くことはないと。



「正直者であられる所はお変わりないようで、何よりです。」



 ユルスンはさらりとそう返して、鷹揚に頷いてから、次の話に移った。



「火影様と、貴方の身辺について少し話し合いますが、雪花院はどのようにお考えですか?」

「…サスケが楽なら、それで、」

「傍にいたい、ではなく、楽なら、と言うことですね。」




 彼に確認されて、は少し考えてみる。

 自分はサスケの傍にいたいというよりも、彼が楽ならと言うことを第一に考えている。傍にいたいかと言われれば、今となってはよく分からない。心が迷子になったように定まらないのだ。



「…わからない、」




 はぽつりと答えた。

 何も分からない。前は傍にいたいと思った。でもそれがいつの間にか義務感にすり替わって、イタチが残したサスケを守らなくてはと強く思った。そして今、すべてが終わって、自分はどうしたいのだろうか。

 その答えを、はまだ持っていなかった。







自己意志が見えない
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