翌日にはなんとか微熱程度に熱の下がったは、旅館でユルスンの持って来た琴をつま弾いていた。
「…また間違えた…」
「おわかりなら結構です。」
隣で三味線を弾いていたユルスンは淡々と言ってから、時間を見て小さく頷く。
「もうそろそろ2時間です。今日はおしまいですね。」
「え、もうちょっと…」
は琴を奏でるのが楽しいのか、目じりを下げてねだる。だが昨日までチャクラを使って高熱を出し、血まで吐いた身だ。流石にそこまでは許可できない。
「、昨日の今日だろう。もうそろそろ疲れているだろうし寝ろ。」
サスケはできる限り低い声で言わないように気をつける。は今サスケがいる事に気づいたとでも言うようにはっとして、「…はい、」と途端に勢いをなくした。
「ちょっとサスケ君、」
見ていたサクラがサスケの脇腹を肘で突くが、分かっているサスケはもう目じりを下げることしか出来なかった。
サスケは昨日の夜、また同じ失敗をしたのだ。体調が悪くて食事が出来ないに心配のあまり、食べられないのかと何度も聞いてしまった。結果的には食べなければならないときつく思い、喉に詰め込んで夜中に吐くことになったのだ。おかげでユルスンに容赦のない叱責を浴びせられることになった。
サスケは自分が彼に怒られてみて、がユルスンを苦手になる気持ちがよく分かった。
彼の叱責は非常に的を射ていて正論だし、どこまでも容赦がない。ましてやサスケはかつての主の弟ではあるが、彼にとってどうでも良い相手だ。主従関係がないだけ強烈だったし、罵声などではないまさに正論であるため反論の余地もなかった。
それは本当にがユルスンを止めるまでの10分にも満たない間だったが、1時間くらい怒られたように感じた。
「お疲れですか?」
ユルスンは呆れたようにあからさまなため息をサスケに向かってついたが、にはゆったりとした口調で尋ねる。
「うぅん。でも寝にいかなくちゃ。」
は首を横に振っておずおずと口にした。そのの答えに思わずサクラは額に手を当てたくなる。
今までサスケとの相違はそれなりにあったが、ここまで表面化していなかったのは、がはっきりと自分の意見を口にしたことがなかったからだ。ユルスンが来た途端、は彼には自分の意見を述べるし、言葉を濁すこともない。
するとあっという間にとサスケの相違は誰が見ても明らかになった。
今だってそうだ。疲れていない。それでも寝に行かなければならないのは、サスケがそう言ったから、それ以上でも以下でもない。必要性の問題ではないのだ。サスケがそう言ったからというそれだけがにとっての行動規範になってしまう。
言葉に気をつけなければならないわけだし、最初にの意見や状況を尋ねるべきだが、言葉足らずのサスケはすぐに結論だけを言ってしまうのだ。はそこに、逆らったりたてついたり、やらないという選択肢があることがよくわからない。
「まだ熱も上がってきていないみたいだし、どっちでも良いわよ。」
サクラはに優しく声をかける。はそう言われたものの、やはりサスケの表情の方をちらりと覗い、不機嫌そうなのを確認すると、首を横に振って「寝る、」と答えを出した。それは親の顔色を覗う子供と全く変わりない。
「寝なくて良い。」
サスケはどう言っていいか分からず、素っ気ない声で言う。
「え、え?」
は困惑しきった顔でサスケを見上げたが、サスケがを見下ろすと、すぐにびくっと肩を震わせて「わかった…」と答えた。
「…」
段々、どうしたら良いのかが分からなくなっていく。
サスケが発する小さな言葉がの行動をすべて決定する。だからこそサスケは本来なら慎重に言葉を発さなくてはならないはずだ。だがが体調を悪化させればさせるほど、自分の中のを失うかも知れないという恐怖に勝てない。
確かに大蛇丸の言うとおり、の心がの体を生かす。だがの体がなくなれば、心があったとしても永遠に失うことになるのだ。それをサスケは痛いほどに知っている。
「まったく、」
ユルスンはそんなサスケを見てこれ見よがしに大きなため息をつく。サクラも凍り付いてしまった空気をどうして良いか分からなかった。
「な、なんか、ねぇ、昨日イタチの夢を見たよ、」
は空白を埋めようとするように、口に出す。それはあまり相応しい話題ではなく、途端にサスケは顔色を変えた。だが、素知らぬ風でユルスンはに問う。
「何か、おっしゃっておられましたか?」
「…んー、よく覚えてないけど、わたしが泣いてたから、困った顔していたよ。」
口に出すのを一瞬躊躇ったが、はユルスンの問いに促されるようにそれを口にした。
本当は、夢の内容をよく覚えている。
一緒にいたいと泣いたのだ。殺してくれなかったと彼を責める気にはなれなかった。だから、ここにいたい、もう帰りたくないと泣いたのだ。夢の中でも彼は酷く困った顔をして、ずっと頭を撫でながらを宥めていた。
夢から覚めたくなかった。
「お疲れですね。」
ユルスンは一言でそう評した。その言葉は端的に自分を示している気がして、は小さく笑ってしまう。
そうだ、はつかれているのだ。
悩むことも、戦う事も、全部疲れてしまって、もうどこにも動きたくないし、生きたくない。自分を襲ってきた彼女の事を考えれば、もう殺されても良いかなとすら思う。
「あの人、どうしてわたしを殺したいのかな、まぁ、恨まれて当然なのは、納得してるんだけど。」
は目を伏せて、膝を抱える。
「大蛇丸は貴方の遺体が欲しいと目算を立てておりましたが、実質的には貴方が死んだことによって出てくる鳳凰が欲しいのではないか、と。」
ユルスンは淡々と返した。それを聞いて、は自分の着物のフードを深く被って、自分の表情を隠す。
「…鳳凰は困るけど、遺体ぐらい、あげても…」
良いのに、と言おうとした言葉が途端に途切れる。それはの腕をサスケが思い切り掴んで引っ張り上げたからだ。はらりとのフードが落ちる。
「おまえ、何言ってるんだ、」
低い声には体がぞくりと悪寒とともに震えるのを感じた。掴まれている腕の痛みも気にならないほどに怖い。彼を見上げると、漆黒の瞳は明らかな怒りを示していた。
「オレが、どれだけおまえを心配してると思ってるんだ、」
少なくとも、サスケは一番を心配しているし、失いたくないと恐怖を克服できなくなるほどに、大切に思っている。なのにはそのことに一向に目を向けず、無茶ばかりする。信頼してされていないと言われればそれまでだが、それでもその事実だけは、にも話してきたはずだ。
「…ご、ごめ…」
「そんなことを思ってもないくせに、口に出すな、」
サスケは冷たく言い捨てる。は呆然と紺色の瞳を丸くしてその瞳に涙をためて、何かを言おうとしたが、何も口から出てこなかったのか、口を噤む。
頭に思い浮かぶのは謝罪の言葉だけだ。
「…ど、う、」
どうしたら、良いの、と口から出かかった言葉をどう言葉にして良いのか分からず、それすらも言葉にするのが恐ろしくなって何も出来ない。
それでもはやっと気づく。
自分はサスケに、嫌われたくなかったのだ。必要として貰いたくて、気に入られたくて、だから一生懸命サスケの言葉に従っていた。明確な言葉に従うことで、気に入られたかったのだ。その浅ましさに気づいて、は言葉を失う。
ごめんなさいと言いながら、彼に迷惑をかけるくらいなら死にたかった。サスケの重荷になっている今の自分が苦しくてたまらなかった。彼の心よりも自分の心を優先していた。
「なんでオレはおまえを見捨てられないんだ…、」
独白のようにサスケの口から吐かれた言葉に、はひゅっと息を詰まらせる。
「…わ、」
いない方が良い、そう思った途端、声とともにすべてが詰まった。
「ぁ、かっ、」
「?」
突然変な呼吸を始めたに気づいたサクラがの顔をのぞき込んで、喉を押さえて青い顔をしているに目を丸くする。
「?」
サスケもはっとして、慌てての様子を見ての背中を撫でる。
「過呼吸ですね、」
ユルスンは淡々とした様子で言って、袋を用意する。それは昔からそういう状況がそれ程珍しいことでなかったことを示している。
だが、彼の目は同時に冷静に若いとサスケの不和を映していた。
限界