「…過呼吸は精神的な負担から来る。もう少しを労れ。会うことすら禁止にするぞ。」
綱手は布団に座っているを庇うようにしながら、サスケを睨み付ける。ユルスンもも、綱手に一言も告げ口はしなかった。否、は告げ口を出来るような状態ではなかった。だからこそ、綱手は何かあったと理解したのだろう。
「…わかってる。でも、どうしても心配だったんだ。」
サスケはぐっと拳を握りしめたが、いつもの勢いは全くと言って良いほど無かった。の体調では単純な過呼吸が命とりになる事だってある。それが分かっていて、自分が恐ろしい可能性を引き寄せてしまったことを自覚したのだろう。
綱手は大きなため息をついて、を見る。
「?」
サクラは心配になっての背中を撫でる。だが、声にほとんど反応せず、呆然と見開いた紺色の瞳は、全くと言って良いほど何も映していなかった。
先ほどサスケの言ったことを気にしているだろう事は、すぐにわかる。
「…サスケ君も言葉は悪いけど、を大切に思ってるんだよ。わたしたちだって、」
サクラはの背中を撫でながら、極力優しい声音で言った。
それは嘘ではない。病みそうな程に、サスケはいつもを心配している。それはサスケを好きだったサクラが焦燥を覚えるほどに、彼はしか見ていない。だからこそ、サスケのことが好きながらもサクラはを助けようと努力せずにはいられなくなった。
だから、人見知りの激しいともうちとけようと努力もした。
これでが死んでしまい、サスケが生きる気力を失って自殺でもしてしまえば、サクラたちの努力はほとんど無駄になる。
背中を撫でるサクラの手は、ぱちりと弾かれる。サクラが顔を上げると、そこには空虚な紺色の瞳があった。底冷えして、こちらがぞっとするほど混沌としたその瞳は、サスケの漆黒などよりも酷く恐ろしい色合いをしていた。
「聞きたくない、」
はぼんやりとした瞳をサクラに向けてから、ふるりと首を振って、耳を塞いだ。が明確な拒絶を示したのは初めてで、サクラは驚いて口を開く。
「、本当に、」
「嘘は、聞きたくない、」
の声は日頃では考えられないくらいに低く、そのくせにゆっくりで重々しい感情がこもっていた。
「…貴方が想ってるのはサスケだけ…」
それは何処までもサクラの本質を突いていて、サクラは言葉をなくす。
サスケを好きだったからこそ、サスケが大切にするに複雑な感情を抱えながらも優しくしなければならない。は浅ましいサクラの考えなどもうとっくに見抜いていたのだ。
「みんなそう、わたしを見て、サスケを見てるの!綱手様とナルト以外はみんなそう!!」
はすべて気づいていた。
サスケの旧友たちも、を心配していると言いながらも、ただサスケを心配し、もしもに何かあればサスケが落ち込み、へたをすれば命を絶つかも知れないと、それを心配しているのだ。誰もの事を本質的に心配などしていない。
そんなこと、鋭すぎるほどに勘の良いはとっくに分かっていた。
だからはナルトや綱手だけが好きだった。二人だけが自身に同情を感じ、サスケ抜きでを心から心配してくれたからだ。
「わ、わたしがんばったよ、痛くても我慢した、辛くても笑った、だって、」
悲しくなかったわけではない。自由にならない足を抱え、大怪我をし、熱を出し、体調も悪い。体の不調は大きな精神的負担だったし、ほとんど怪我をしたこともなく育ってきたは痛みで狂ってしまいそうだった。
幽閉された経験から座敷は体が震えるほど恐怖だったし、また同じような生活が待っているのではないかといつも怖かった。木の葉隠れの里はあまりに大きく、外に遊びに連れて行って貰っても奇異な紺色の髪は人目を集め、どうしようもなく人の目は怖かった。
それでも必死で自分を繋ぎ止めたのは、ただサスケのためだった。彼が必死で縋ってくるのを見て、自分も生きていることを許されている気がしたのだ。
彼に必要とされることで、はどうにか心を奮い立たせようと思った。
「どうしたらいいのか分からないから、サスケの言うことだって聞いたでしょ?」
生活が始まってから、分からないことばかりだった。どうして良いか分からないから、不機嫌そうな顔をするサスケの顔色を覗って、必死で言うことを聞いて、そうしないと見捨てられてしまうからと、一生懸命頑張った。
「なのに、なのに、…サスケもわたしのこと見捨てたいんでしょう?」
―――――――――――なんでオレはおまえを見捨てられないんだ…
その結果が、あの言葉なのだというのならば、はもう何処にも行けない。
彼に必要とされなければ、当然彼の旧友たちにとってに利用価値などありはしない。はサスケに必要とされていなければ、木の葉隠れの里で生きていく術すらもないのだ。
世界の何処にも居場所などありはしない。
「もう、もうやだぁ…」
チャクラがざわりと熱度を増して、の肩にいつもいる白い蝶が鱗粉をまき散らそうとする。だが、それが突然止まった。それと同時にが座っている周りに術式が現れる。それはも見覚えのある、のチャクラを直接封じる物だった。
「…悪いけれど、」
廊下側から現れた大蛇丸が憐れむような瞳をに向ける。はくしゃりと表情を歪めて、ぎゅっと布団を握りしめた。
大蛇丸は最初からが死のうとすることを予想していたのだろう。
「…わたしには、死ぬ自由すらもないの?」
震える高い声音では自分を笑って、自分の手を眺めた。
涙がぽたぽたとこぼれ落ちていく。細くて白い手は昔も今も何も変わっていないけれど、つなぐ相手はとっくにいなくなってしまった。
「わたしの必要としてくれる人は、もう誰もいなくなっちゃったのに、」
父も母も笑ってを抱き締めてくれた。彼らは一番最初にいなくなった。自分を誰よりも庇護してくれていた、必要としてくれていたイタチももういない。それはイタチを亡くしたときの心許なさによく似ていた。
あの時は腹に子供がいて、子供を巻き込むわけにはいかないから、必死で自分を繋ぎ止めた。でも今は違う。
「もう、怒られても良い。…イタチのとこに、いきたい、」
イタチはきっと、酷く悲しそうな顔をしてを怒るだろう。彼は何よりもが生きる事を望んでいたし、いつもの事を大切にしてくれた。彼の元に行けば、彼は怒るだろうけれど、きっとここで一人で生きるよりはずっと寂しくないし、辛くないだろう。
彼はどうせ、の泣き顔に弱いのだから、きっとが泣き出したらやめてくれる。
それを心に思い浮かべれば、の口元には自然に笑みが浮かんだ。口に出してしまえば、心が勝手に柔らかに満たされていく。
イタチに会いたい、簡単な願いは、の心にあまりにもすんなり落ちた。
それはの口から忍界大戦が終わってから初めて、明確に出てきた“意志”だ。綱手は表情を悲しげに歪め、サスケは酷い恐怖に駆られた顔をしていた、は別にどうだって良かった。もう何かを心に映して傷つきたくはなかった。
「そうだよ。疲れた…、疲れたんだよ…」
それは何千年も生きて、もう途方に暮れた老婆のような口調だった。
後はどんな形でも全く良いから、一日も早く自分の世界が終わって、イタチの元にいけることだけを願っていた。
逝く意味