その日から、は一切食事に手をつけなくなった。
どれほどサスケが怒ろうが言葉を尽くそうがろくすっぽ聞いておらず、楽しそうな笑みすらも浮かべて、ぼんやりと布団に丸くなって転がっている。五影会談の2週間の会期は半分が終わっていて、あと1週間と言うところまで来ていた。
「…ぅ、飯食えってばよ。」
泣きそうにナルトが懇願するが、はちらりとそちらに目を向けはしたが、それを視界から追い出すようにしてまた布団の上で丸まった。ここ2日ほどはこうして丸まったままぼんやりとしている。
「いらない…、食べたくないから、」
弱々しいくせに鼻歌でも歌い出しそうな楽しそうな声音では答える。元々は空腹を耐えることになれている。幽閉されていた頃は侍女達が怖がって食事を持ってこないことも多々あった。だから、それ程苦ではない。
ましてやイタチに会えると思えば、まるで誕生日を数える子供のような気分だ。
「イタチ・・・。」
突然逝ったらきっとイタチは驚くだろう。そして事情を知れば悲しい顔をするに違いない。怒るかも知れない。でも、今のにはそれを考える事の方がずっと楽しかった。この苦しみがあと少しで終わると思えば少なくとも心は楽だ。
決めてしまえば、驚くほどに未練などなかった。サスケに必要とされていることだけが、の未練だったのだろう。
「、お願いだから、食べてくれ、」
サスケがそっとの髪を撫でて懇願する。彼を見上げると、泣きそうな顔をしていた。その顔を見ると少しだけ心が痛んだが、その表情を一生懸命追い出して、何とか心を保つ。
「…」
目の前にある自分の紺色の髪を手で巻き付けると、さらりとした感触とともに手からこぼれ落ちる。そういえばイタチは長い髪が好きだと言っていたが、イタチが死んだ後に切ってしまった。大丈夫だろうかと変な心配が心にふと浮かぶ。
死、というよりはイタチに会えるかもしれないという後ろ向きなの希望は、いつの間にかの心に空虚な余裕を生んだ。
それは今まで生きるためにこだわり続けていたサスケを無視できるほどに大きい。
「、聞いてるのか、」
「聞いてるよ…、」
聞いてはいる、でも従う気は無い。瞼を閉じても開けていても思うのはイタチのことだけだ。そうすればの心が悲しみにとらわれることもない。思い出の中のイタチはを傷つけたりしないし、いつもに優しい。
道ばたにでも放り出してくれたとしても、は幸せに逝けることだろう。
「…俺、サクラちゃんに言ってくる。」
ナルトは注射などの栄養補給を考えてか腰を上げて部屋から出て行ったが、それもあまり意味がない。綱手などがそう言った試みをしていたが、基本的には体力が持つ限りは拒否していた。
「どうやったら、食べてくれるんだ、」
サスケはの髪を撫でながら、問う。
「いらない、」
「どうしたら、死なずにいてくれる。オレの傍にいてくれるんだ。」
僅かに声を荒げて彼は言ったが、その声音には悲痛さと、切迫した痛ましさがあった。日頃のならすぐにサスケの言葉に従っただろうが、今日は小さく心が痛んだだけに過ぎなかった。
サスケの傍にどうやったらいるか、
ふとそれを考えて、は1つだけ可能性を思い浮かべた。一緒にイタチの所に逝ってしまえば良いのではないだろうか、と。だがそれはイタチの遺志を踏みにじることにもなるため、は口にすることが出来なかった。
ましてやそれは、どうやったら死なずにいてくれるのかというサスケの問いの答えになっていない。
「、」
サスケはの肩を掴んで揺する。はされるがままになりながら、瞼を閉じた。
「、頼むから、」
掠れた声が耳に響く。髪を撫でるサスケの手が酷く震えているのが分かった。
死は隔絶しがたい喪失だ。彼はそれを常に味わってきた。だが、の喪失はそれ程重荷にならないだろう。見捨てたいのに見捨てられないというが、少なくともはこうして彼に何も残さず、そのまま死んでいくのだ。死んだ後には何も残らない。
一枚の写真すらも、彼の元には何もない。
が生きていた証なんてほとんどもうないのだから、彼もゆっくりと忘れて行くだろう。サクラだってなんだかんだといってもそれを望んでいるはずだ。なんと言っても彼女はサスケが好きで、だからこそと仲良くしようと努力していたのだから。
「死に、たいのか?」
サスケは震える声でに問う。
「うん。」
は至極素直に答えた。
もう疲れた。こうして生きていく時間は辛すぎる。この世界はを必要とはしてくれないし、苦痛しか与えない。だから、死んでイタチに会いたいのだ。
「だったら、オレが殺してやる。」
ぽつりと、サスケが突然言った。聞き間違いかと思って瞼を開いたが、彼はじっとを見て答えを待っている。
「本当?」
「あぁ、だけど、おまえがオレを殺してくれ。」
「…え?」
は彼の言った言葉がよく分からず、瞳を瞬く。
「おまえは、約束しただろう?」
サスケはの髪を何度も撫でて、を見下ろす。漆黒の瞳は、珍しく何処までも優しくて、を労るような色合いに溢れていた。
確かにそれは約束した。だが、物理的に不可能だ。
「うん、でも、できないよ。」
今のに正直サスケを殺すだけの力などありはしない。腕力もなく、握力も微々たる物で、刀を体に押し込むだけの力すらもないだろう。ましてやイタチの遺志そのものであるサスケを、が殺せるはずがない。
冷静にそう返せば、彼は少し考えるそぶりを見せて、顎を引いた。
「そう、か。」
「うん。」
「なら、オレは自分の命に自分で始末をつける。」
そっとサスケの手が頬を撫でた。その手が滑るようにの首に掛かって細い首をたどる。は彼の声と手に促されるように顔を上げると、逆光に隠れる彼の表情はただ静かで、穏やかだった。
「だから、おまえはもう嫌かも知れないけど、隣に眠ることだけは許してくれ。」
言っている意味が、よくわからなかった。自分の首を撫でる手が温かくて心地が良い。それに目を細めてから、ぽたりと自分の頬に落ちてきたものに気づいて、そっと彼の頬に手を伸ばす。逆光によく見えなかった彼の頬は僅かに濡れていた。
「どうして、貴方が泣くの?」
は軽く首を傾げて問いかける。
「おまえを手にかけるのが、悲しいからだ。」
「放って置いたら良いでしょう?」
「お腹がすくのは、嫌だろう?」
は今チャクラを封じられている。自殺は出来ない。だから絶食しているのだが、これは時間がかかりすぎる。ましてやあまりに酷くなれば綱手たちも無理矢理を押さえつけて点をするだろう。そうすれば苦しみは長引くばかりだ。
仮にチャクラがあったとしても、体を内部から鳳凰に食われるのは決して楽な死に方ではないだろう。
「だめだよ。」
は首を横に振ってサスケの手を払う。
「貴方はもう命を背負っちゃ駄目だよ、」
サスケはイタチのように失った命を全部背負って生きられるほど強くない。彼だって苦しんでいた。サスケにはそれ程の覚悟もなく、逝く人たちが勝手に背負わせてきた物だ。それが増えることは良くないのだ。
いつか彼が壊れてしまうだろう。イタチが静かに壊れていったように。
「オレだっておまえのために全部捧げたって良かったんだ、」
掠れた泣き声でサスケはに言う。
「なんで、そうできないっ、」
サスケだってがサスケのためにすべてを捨てたように、もしの瞳が戻るのならば、足の機能が戻るのならば、そうしたって良かった。なんの後悔もなかったのだ。
なのに、今にしてやれることは、を殺すことしかない。そしてそれすらもに拒絶されている。
死ぬ人間は勝手に託すことが出来る。でも託された側はがんじがらめになって、その命を失う選択すらも出来ない。
「オレに、もう何も押しつけるな、」
知らないうちに願いだけを背負わされ、守られ、生かされ、ただ一人で残される。その歯がゆさはも、サスケも同じように知っていることだ。
そして、は意図しなくてもまた同じものをまたサスケに押しつけようとしている。
「…」
弱いのはもサスケも全く変わらない。出口のない感情を抱えて、生きる辛さだけを実感している。それをうまく分かち合うことが出来ないことが、何よりの問題だった。
散る 積もる