願い事があった。
ちっぽけなことだったのに、叶わなかったことだ。
そして、将来的におそらくまったく叶わないであろうと予想されていたことは、少なくとも希望
の余韻を残した。
彼女が生きてさえいれば、叶う日は難しくとも望みだけはある。
「案外、人間なんて図太いものなんだね。」
誰に向けたものか。
幼い男の子は自嘲気味にふっと笑って、血に濡れた首飾りを握りしめる。
丸い円を繋いだだけの、とても簡単な作りの首飾り。
もう一つ父がくれたものは、サスケにあげてしまったから自分が持っている父の形見と言ったら
これくらいの物だ。
形見と言っても勝手に遺体から取った物だから、何とも言えないが。
窓の外を見ると、たくさんの人が行き交っている。
かつて炎一族の滅亡と共に衰退を見たこの街は、宗主の帰還と共にかつてないほどの繁栄を謳歌
している。
父が、自分に置いていった物だ。
裏から手を回し、公共整備を行われたこの街は、すぐに大きくなった。
その下地は、父が作った。
―――――――稜智、
自分をそう呼ぶ人間は、もうこの世にいない。
彼女ですら、自分のことを“宮”とか、“羽宮”と呼ぶ。
他の人間はもう、稜智のことを宗主としか呼ばない。
雪羽宗主、それが稜智の名であり、稜智という名を本当に知るものは、もうほとんどいない。
「雪花院から、連絡がありました。青白宮がこちらにこられるそうです。」
後ろで控えていた青年が、静かに告げる。
うちはユルスン。
かつてはイタチの部下をまとめていたうちは一族の生き残りであり、イタチの死後は遺志を継い
で不知火の宗主に仕えている。
少し短めの黒髪からのぞく青色の瞳の宿す鋭い知性は、戦いではなく知略を持った不知火の宰相
として発揮されている。
不知火を統治していくにあたり、幼く、力はあるがまだ知識のない稜智には最も必要な存在。
「そうかぁ、青白宮か・・・、死んじゃうかと思ったのに。」
稜智はうーんと悩む。
その様子は子どものようだが、青白宮を助けもせず、人形だけを与えてどうするかを見ていた彼
は、子どもの域を超している。
「私としては有り難い限りです。なにぶん昔から武術は苦手なもので。」
ユルスンはふぅっと息を吐く。
彼は前から思っていたが、根っからの文官であり、あまり忍術に向いていない。
もちろんうちは一族あって一般の忍に比べれば強いが、それは知識量に支えられるところが大き
く、彼自身はあまり好んでいないようだ。
青白宮は種はないとはいえ、白炎使いだ。
強いのは間違いないので、ユルスンとしては有り難いのだろう。
邪魔者がいた時に自ら始末せずにすむので、稜智としても有り難い。
少し楽が出来るというものだ。
「ゆうしゅうな人がふえることは、良いことだね。」
「そうですね。まったく。」
イタチが残した人員がいるとはいえ、それでも不足だ。
不知火は国と言えるほどに大きくなりつつある。
その地を治めるには、あまりに人間が足りない。
ユルスンはため息をついて開け放たれた窓の外を見上げる。
「良いお天気ですね。」
「そうだね、さいきんあめばっかりでたいくつだった。」
「また嵐が来そうですけどね。」
犯罪者であれ何であれ、公平に迎える中立の地。
不知火の外で犯罪者であっても、そのものは犯罪者として扱われない。
不知火の中の犯罪は不知火で裁かれる。
外の犯罪は、外が裁けばいい。
それが不知火の考え方であり、危うさの原因でもある。
世界情勢は厳しい。
この不知火はどこの国にも、どこの里にも属さない。
独立を守るためには、戦うことも時には必要だ。
「いざとなればおれがマダラを殺して、暁をつぶしてあげるよ。」
稜智はからりと明るい笑みを見せる。
彼とて、それが案外難しいことは理解しているだろう。
けれど笑顔に対して彼の声音は真剣だ。
イタチを直接手にかけたのはマダラではないが、原因を作ったのはマダラだ。
そして、イタチを捨て石にしたことも、聡い彼は気付いている。
不知火を守ることが、稜智の役目だ。
だから完全な勝算を手に入れるまでは手を出さないだろうが、マダラを殺したいと憎んでいるこ
とは、間違いない。
稜智は、なかなか性格が苛烈だ。
穏やかだったイタチとは違う。
短気と言うほど考えなしに動くことはあり得ないが、過激な発言は幼い彼の内面を見せる。
「・・・・マダラを殺してどうなさるおつもりで?」
「そうだな。うーん。あ、あとは木の葉のじょうそうぶをみなごろしにして、あとは、砂隠れもや
っちゃおうかな。」
「・・・・」
「じょうだんだよ。」
いやだなぁ、ほんきにしちゃって、
小首を傾げて困ったように稜智は言う。
その仕草は、似ていない彼の容姿の中でに似ている部分だ。
「冗談に聞こえませんよ。」
ユルスンは幼い自分の主を見つめる。
まだあとげない、4,5歳前後の面立ちの中で、その漆黒の瞳だけが酷く大人びた色合いを示して
いる。
イタチとは違う少し目尻のたれた瞳は、早熟な炎一族の肉体を持つせいか、すでに緋色に変える
こともできる。
末恐ろしい子ども。
けれど、母を恋しがり、父を想うただの子どもであることを、ユルスンは知っている。理解して
いる。
考えがどれ程大人びようと、変わらぬ物がある。
捨てきれない、想いがある。
「彼女がサスケ様と共に生きる道を選んだというのなら、会うこともあるのでしょう。」
「・・・・うん。」
しばらく間を開けて、稜智は曖昧に頷いた。
過度の期待は失望を招くから、期待しない。
でも、瞼の裏には、優しい母の顔がある。
最後に見た、悲しみに揺れる瞳が、胸を突き刺す。
幼い自分には何も出来ない。
無力感と絶望。
それでも、
「あえる、かな。」
自分がもっと強くなって、彼女が強くなったら、会えるだろうか。
会って、また楽しかった頃と同じように喋れるのだろうか。
稜智は静かに目を閉じる。
「この空が続くならば、」
ユルスンは答えて、その小さな肩にそっと羽織を掛ける。
窓の外の空は相変わらず青く、高く、手は届かない。
しかし、この空の続くどこかに大切な人がいると想えば、遠く感じなかった。
叶わないかもしれない願いでも、捨てることは出来ないから
( だって すこしでものぞみがあるのなら ねがいたいでしょう? )