夜中に跳ね起きるなんて言うのは、珍しいことではなかった。

 嫌な夢でも何もない、本当に何もない夢を見るのだ。


 大きな部屋にひとりぽつんと座って、ただひたすら時を時とも思えずに過ごす。

 そういう、夢。


 悲しみも、苦しみもない。

 その部屋に住まう幼い少女は、すべての感情を知らない。

 父の死にすら涙を流さず、全く反応を示さない。

 だから、夢を見ている間は悲しくないし、何も感じない。

 ただ心にぽっかり穴の空いたような空虚感と、孤独はぬぐい去れない。




『あの化け物、どうして殺してしまわないのかしら』




 言葉の意味はわからずとも、嘲りの感情は、自分が望まれていないと言うことは理解できる。

 イタチに出会い、感情を知り、孤独が寂しさで、空虚感が必要とされないことへの悲しみだと知
った時、の心には一つの疑問が生まれた。


 どうして自分は生まれてきたのだろう。

 誰にも必要とされない命が、なんのために生まれてきたのだろう。

 心底そう思ったのは、いつだったか忘れてしまった。


 イタチに望まれ、自分の生きる意味はあったはずだった。

 なのに、その彼すら、死んでしまった今、自分はどうしてここにいるのか。


 ぺたりと地面と言うには冷たい感触のする闇に膝をつく。

 ぽたりと涙がこぼれ落ちて、頬を伝う感触が自らの心を揺らす。

 夢の中の少女が、ひたすら自分を見上げて首を傾げていた。




『・・・・?』




 泣きじゃくるがおかしくて仕方ないとでも言うように、悲しみも何も知らぬかつての少女は訝
しみ、立ち上がれないに世界を知ろうとしたからだと嘲る。


 イタチに出会わなければ、何も知らずにすんだ。

 無用な苦しみを抱くことはなかった。

 そして、拒めば彼は死ななかったのにと、叱責する。


 貴方というお荷物がなければ、愛おしい彼は死ななかった、と。





『でも、それでも・・・・・・』





 一瞬の幸せが、愛おしかった。

 だから、捨てられなかった。

 初めて知った感情、幸せ、夢、悲しみや寂しさすら彼がくれた物だ、愛おしかった。


 すべては自分のため。


 ぱしゃりと回りの闇が水のように跳ね上がり、に絡みつく。

 闇に心が呑まれていく。

 拒む術をは知らない。

 涙がこぼれ落ちて、ひとつ、ふたつと闇に呑まれていく。




 ―――――――




 低く、聞き慣れた優しい声が聞こえる。

 顔を上げると、ぱしゃりと闇がひとつ、回りに戻る。




 ―――――――戻ってこい、




 声が諭すようにを促す。

 優しくて低い、穏やかな声音。


 空間が、突然揺すられるような衝撃を受け、闇がはじける。

 今度聞こえたのは、はっきりとしたサスケの声だった。
















































!」




 半ば無理矢理起こすように、乱暴に揺すられる。

 それを感じて、は目を開けた。

 薄暗い視界の中、目の前に酷く焦って心配顔のサスケがいて、の方が驚いてしまった。





「ぁ・・・・?」 

「まったく、」





 呆れたように、けれど安堵したようにサスケは息を吐く。

 何でサスケがいるのだろうと不思議に思って、新しい畳の臭いを吸い込んで、はここが宿屋の
一室であることを思い出した。



 最近野宿ばかりだったので香燐が嫌がり、宿を取ったのだ。

 そして、サスケがぼんやりしたが夜の間に敵に襲われても怖いので、同室になってくれたのだ
った。

 当然ながら恋人同士ではないので同じ布団で寝ることはないが、隣の布団で寝ていた。

 起こしてしまったのかと焦った時、手に感触を感じて視線を下げる。

 ぽたりと何かが自分の手にこぼれ落ちた。






「あれ?」





 天井を見上げても、ただの板張りの天井で、雨漏りのしみもない。

 こんな夜中に別室で寝ているはずの水月と香燐が喧嘩をしていると言うこともなさそうだ。

 ここに水が入ってくる可能性は一片たりともない。

 そこでは自分が泣いていることに初めて気付いた。





「あれ、あれれ?」





 気がつくと、ますます涙が溢れている。

 何か、悲しい夢を見たのだろうか。

 心が空虚感を抱き、寂しさに揺れるけれど、どんな夢を見たのか、覚えていない。


 夢なんてそんな物だが、どうして悲しみは心に残るのだろう。

 寝間着の代わりの襦袢の袖で涙を拭くが、なかなか止まらない。

 躯が冷え切っていて、かたかたと小さく震え出す。

 焦るとますます心がざわついて、涙は溢れるばかりだった。

 意地になってごしごしと袖で乱暴にこすると、サスケに手首を掴まれた。





「やめろ、目元が赤くなるぞ。」





 サスケはそう言って、そっとを抱き寄せる。


 座るサスケの肩に顔を埋める形になったは、思わず顔を赤くした。

 一度、大蛇丸が残した研究所に行った時抱きしめられたことはあるが、はイタチ以外の人間と
ふれあう機会が極端に少なかったため、男性関係にも疎い。

 抱きしめられれば、驚くし、恥ずかしさも覚える。





「あ、あの、サスケ?」






 どうすればいいかわからずあたふたしながら少し体を動かすと、背を抱くサスケの手に力がこも
る。

 だからますますはどうすればよいのかわからなくなった。

 彼はを離すそぶりを見せず、の背中をゆっくりと撫でる。





「怖いのか?」





 その問いへの答えをは知らない。


 何に怯えているのか、自分でもわからないから。

 震えはまだ残っていて、どうすれば止まるのかも知らない。


 ただ薄い着物ごしに伝わるサスケの体温はの心を少しずつ落ち着けていく。

 焦らなくても良いと言うようにサスケは素知らぬ顔でを抱きしめたまま、目を閉じる。

 サスケの中途半端な長さの髪を首元に感じながら、はゆっくりと涙が止まるのを感じた。


「嫌な夢でも、見たのか?」





 しばらくして、サスケが相変わらず温度の低い声音で問う。






「どんな夢を見たんだ?」

「・・・それが、よく覚えてないの。」





 は考え込む。

 本当に、よく覚えていない。

 目覚めた瞬間に残ったのは悲しさとか、空虚感だけで、何を見ていたのか忘れてしまった。


 夢なんて、そんなものだ。

 覚えているのは本当に一部。





「悲しい夢じゃ、なかったと思うんだけど・・・・」

「おまえ、もの凄く魘されていたぞ?」

「え、そうなの?・・・・・じゃあ悲しい夢だったのかなぁ。」





 はもう一度夢を思い出すべく頭を働かせたが、やはり該当するような夢を思い出すことは出来
なかった。

 恥ずかしくなって、サスケから少し躯を離して向き合う。





「ごめんね、起こした?」





 目を伏せて謝ると、自分の頬にサスケの手の平を感じた。

 親指がの涙の溜まった目尻を拭う。

 が視線をあげると、サスケの漆黒の瞳が目の前にあった。

 のぞき込まれれば気恥ずかしくて、また目を伏せる。

 頬に添えられた手が温かくて、劣情を煽る。





「別に平気だ。俺は寝なくても。」





 ふっと淡い笑みを浮かべて、サスケはから体を離し、ぽんとの頭に手を置く。

 その言葉がイタチと似ていて、変な既視感を覚える。

 いつも夜泣きじゃくって起きるを、例え次の日辛かろうと慰めてくれた。

 躯の震えが戻る。

 あぁ、そうか。かつての日々を夢で見たのか。


 何も知らなかったあの日の。

 何も感じない、何も知らなかった遠い幼き自分は、今の、心を知ったが故に苦しむ己を、いつも
嘲る。

 特別珍しい夢ではない。

 思い出せば忘れていたことが不思議なほど、心に染みついた夢だ。

 幼い頃に植え付けられた孤独は、イタチの教えた感情と、重ねた温もりを伴って、を優しく、
そして絶望的に癒すことの出来ない溝を突き刺すように蝕む。





「寂しい、夢なのかな、」





 ぽつりと呟けば、サスケが温もりを失った躯を抱きしめてくれた。

 僅かな温もりが少しだけ心を癒す。





「夜は、長いな。」





 一体どういう意味なのか。

 サスケがの背中を撫でながら言葉を紡ぐ。



 眠れない夜が、ある。

 どういう意味であれ、お互いにその意味を痛いほど知っていた。








互いの首に絡み付いた紐のよう

( 幸せな夢をぶち壊す悪夢を 痛いほど知っている )