( 彼女が隣にいるだけで幸せなことはわかっている なのに それ以上を求めている)

舐めて舐められて、それでもこの血は止まらない。







「何、お姫様と喧嘩でもしたわけ?」





 水月が軽口を叩く、


 彼の軽口はいつものことだったし、怒るべきことでもなかったはずなのだが、酷く勘に障って思
わず持っていたクナイを投げつけてしまった。

 サスケは自分の苛立ちようにふっと息を吐く。





「否、ため息つきたいのボクなんだけどね。」




 とっさにクナイをよけた水月は口の端を引きつらせる。





「何かあったの?ボクでよければ相談に乗るよ。」

「おまえに相談するような内容じゃない。」






 サスケは冷たく切り捨てて、またひとつ、ため息をつく。

 やはり口付けたのは悪かったのだろうか。



 ・・・・おそらく間違いないだろう。


 気分、というしかない。

 衝動的な行動をした自分に腹が立つ。


 がまだイタチのことを好きなことを知っているし、それを捨てろというのも無理だろう。

 そんなこと理解していたはずなのに、どうしてあんなことをしてしまったのだろうか。

 やはり、自分の頭がおかしかったとしか言いようがない。






「まぁったく、」





 わざとらしく水月もため息をついて、手を天に向けて首を振る。

 とサスケの緊張状態に巻き込まれているのは、水月だ。

 当事者でもないのに、


 は良くも悪くも素直だ。

 サスケのように無表情に覆い隠すことは出来ない。

 だからサスケとが一緒に街へ出かけ、買い物もせずえらく早く帰ってきたあの日から、はサ
スケのことを完全に避けていた。


 いつもサスケのところに来て服を着せてもらっていたのに部屋でだらだら、しまいになると香燐
に押し問答をしていたが、香燐が着物を着せられるはずもなく、だぼだぼの香燐の服を着ていた。

 香燐も巻きこまれ、げんなりである。

 その八つ当たりも水月のところに来るのだから、迷惑千万だった。






「サスケ・・・、」





 高いくせに柔らかな声が響いて、躊躇ったように少し襖が開く。

 そこから伺うように顔をのぞかせて、はゆっくりと襖を開いた。




?」






 久方ぶりにまともに顔を見たサスケは、目を丸くする。

 の顔は泣いたのか、酷く腫れていて、いつもは二重の目が一重になっている。


 相変わらず着物が着られなかったのか、長襦袢姿で、それも長い長襦袢をずるずる引きずるせい
か、襟元も裾も完全にはだけて躯の線が見える。

 元々幼い顔立ちで、体型も女らしいとは言えないが、独特の艶やかさにどこか女を感じる。 

 水月は微妙な顔をして視線をそらし、席を立つ。

 サスケも目のやり場に困ったが、気まずさを気付かれまいとの顔を見た。


 は手に持っていた着物をきゅっと抱きしめて、それからすっとそれをサスケに差し出す。

 サスケがどうすればいいか、嫌がっていないのかと考えていると、の後ろに腰に手を当てた香
燐がを見張るようにいた。





「ほら、言うことあんだろ。」





 香燐は強気にそう言っての背中を乱暴に叩く。

 は背中を叩かれて驚いた顔をして香燐を振り返った。





「香燐、」





 サスケは僅かに声を荒げて香燐を注意する。


 は人慣れしていない。

 香燐のような態度の人間と親しむ機会もなかっただろう。

 が香燐を嫌っているとは言わないが、乱暴な扱いをすれば、態度を硬化させるかも知れない。



 を庇うサスケの様子に呆れて、肩をすくめる。





「あぁ、もう勝手にやってくれ。」





 襖を後ろ手で閉めて、去っていく。

 は香燐が部屋を出て行ってしまうのを不安に思ったが、口には出さず、サスケに向き直る。


 沈黙が流れる。

 お互いに話辛い。

 だが、が沈黙を破った。





「着せて、」

「え?」

「着物。」





 もう一度はサスケに自分の着物を差し出す。

 サスケはから着物を受け取ると、襦袢を整え、上から着物を着せる。


 は細いから、帯をしめる前にバスタオルを挟んでおく。


 に渡された緋色に白地の金魚と黒の波紋の描かれた着物は艶やかだ。帯は青。

 漆黒に蝶と雪の描かれた羽織はの持っている物にしては落ち着きすぎていたが、緋色と相まっ
て優しく見えた。

 イタチの、漆黒の優しい瞳を思い出す。






「これは、イタチが仕立てたものか?」





 サスケは自然にそう尋ねていた。





「あ、羽織?」

「そうだ。」

「うん。イタチが、仕立てたの。わたし、よくわからないから。」





 はそっと黒地の羽織を細い指で撫でる。

 サスケは躊躇いながら、兄がのために仕立てたという着物を見やる。


 どんな思いで、彼はこの着物を選んだのだろう。

 どんな気持ちでにこれらの物を贈ったのだろう。





「わたし、ね。イタチを、忘れられないよ。」




 はぽつりと独り言のように小さな声で呟く。





「だって、わたし、を作ったのは、イタチなの。幽閉されてて、ずっと、ひとりで、気持ちもなに
もしらなかったわたしに、楽しいとか、幸せを教えてくれたのは、イタチだから。」






 の心の中にある感情はすべてイタチが作った物だ。

 悲しいと、幸せだと、想う度に、イタチを思い出すだろう。

 ここにいると実感する度に、イタチの影を見るだろう。

 にはきっとそれをやめられない。


 与えられた物が大きすぎて、彼を忘れることは、にとって感情を忘れることだ。

 そうすれば、サスケを大切に想う感情も、すべて失ってしまう。

 だから、それだけはできない。





「わすれ、られないよ。」





 は俯いて、でも、と続ける。


 ぎゅっとの手が漆黒の着物を握りしめる。






「でも、サスケに、キス、されて、好きって、言って、もらえて、嫌じゃなかったよ」

「・・・・・」

「・・・・・・嫌い?」

「何がだ?」





 突然、自分に嫌悪感を尋ねたに、サスケが問い返す。





「イタチ、忘れてないのに、嫌な奴って思わない?」





 はこわごわとサスケを見上げる。


 その紺色の瞳は不安でゆらゆら揺れて、今にも泣きそうだ。

 嫌だなんて、思うはずがない。





「・・・・イタチを、忘れろなんて、言わないさ。」




 サスケはふっと笑って、の躯を抱きしめる。




「俺も、イタチのことをおまえに覚えておいて欲しい。」




 は、イタチが守った存在だ。


 がイタチのことを覚えている限り、優しさを覚えている限り、いつかの傷が癒えれば、サス
ケは兄の思い出を、と共に分かち合うことが出来るだろう。

 懐かしめる日が来るだろう。

 悲しいだけの、苦しいだけの傷としてではなく、もの悲しいけれど優しい記憶として、イタチの
思い出を思い出すことが出来る。

 分かち合うことが出来る。


 そういう相手がいることを、サスケは嫌だとは思わない。


 だから、に忘れて欲しいとか、思わない。

 生きている人間と死んだ人間を比べることは出来ない。

 前者と後者は相容れない存在だ。


 が生きている人間の中で、自分を好きであってくれればいい。

 それはサスケの中で徐々にイタチが死んだ、帰ってこない人間だと認めることではあったが、何
故かすんなりそう思った。





「いつか、おまえがイタチのことを言っても泣かなくなったら、のんびり話そう。兄貴がおまえの
前でどんなだったか、どんな風に笑ったか。」





 きっと、は自分の知らないイタチをたくさん知っている。

 そして自分も、の知らない兄としてのイタチを知っている。

 語り合うことが、出来ると思う。


 体を離せば、はまだ申し訳のないような情けない表情をしておどおどとするから、サスケは息
を吐く。





「おまえ、俺が心が狭いと思ってるだろ。」

「ち、違うよっ、」





 慌てて否定を返すが、ばつの悪そうな顔をしていると言うことは、やはりそうなのだろう。

 寛大とまではいかなくとも他人のことには比較的どうでも良いし、口出しはしない主義だが、彼
女の前ではそんなに心が狭かっただろうか。

 考えてみるが、思い当たるところがあるようでないようで、答えは出なかった。





「ほらできた。」





 最後に彼女の前に膝をついて彼女の着物の裾を整え、サスケはの膝をとんとんと叩く。

 は終わったのを確認して、膝をつくサスケと向き合うように座った。

 彼女はじっとサスケを見上げる。

 彼女は背が低い。

 それでサスケより一つ二つ年上だと言うから、酷く変な感じだ。





「さて、街にでも出るか。」





 サスケは立ち上がり、に手をさしのべる。


 色々考えていて、朝食を食べるのを忘れていたから、お腹がすいた。

 も朝食を食べていないだろうから、同じだろう。

 水月と香燐、そして重吾の気配はないから、おそらく銘々食事をするなり買い物に出るなりした
のだろう。





「え、・・・街?」






 人の多いところが苦手なは、怯えた目をサスケに向ける。


 まだ抵抗感があるらしい。

 それでもサスケの手を取ろうとするのは、少しでも理解しようとしてくれているからだろうか。

 素直に自分の気持ちを言ってくれる。

 サスケと向き合おうとしているのも、変わろうと、想ってくれているからだろうか。


 がそうして真摯に向き合ってくれる限り、サスケは歩みの遅いを待っていようという気にな
れる。





「大丈夫だ。」





 の小さな手を握りしめる。

 握り返す力は本当に些細な物だったけれど、サスケは思わず小さな笑みを零した。