眼下に広がるは不知火の街。
豊かな市街地は商業が盛んで、人や物が行き交う五大国の流通の拠点だ。
街を見下ろす一番の塔があるのが、宗主の住む御所だ。
障子を開ければ不知火を一望することが出来、幼くやることもない宗主は勉強や修行以外の時間
のほとんどをこの場所で過ごす。
内政は最終決定は下すが、それ以外の細かいところは父が残してくれた優秀なブレーンであるユ
ルスンに任せきりだ。
最近は見回りやもめ事にも青白宮を使うので、結局のところ幼い宗主のすることなど別段ありは
しなかった。
たまには諸処事情に介入してみたり、勝手に出かけてみたりするが、幼く、後継者のいない彼が
死ねばこの街は本当に今度こそ終焉を迎える。
そのせいか、彼を知るものは皆彼を外に出したがらなかったし、勝手なことをすれば唯一まとも
に意見してくるユルスンから怒られた。
疎ましいとは思うが、仕方ない。
この街の繁栄は宗主なしではあり得ない。
現状を理解していないわけではないので、おとなしくするしかない。
「退屈。」
小さく彼は呟く。
幼げな容姿と天使のような笑みに似合わぬ大人びた表情は、父親が死に、母親が去ってから覚え
たものだ。
15年ほど前、不知火は滅んだ。
木の葉の里の近くにあった宗主の率いる炎一族の村は滅び、宗主が死んだ。
そして、宗主のいなくなったこの街もまた衰退した。
絶対的な権力と力を持つ宗主の元に犯罪者を含む全ての者を受け入れる不知火の秩序は、宗主に
かかっている。
宗主がいなくなっては、この街は成り立たない。
しかし、宗主の血筋が絶えたわけではなかった。
宗主の一人娘であった東宮が残り、彼女は木の葉に幽閉された。
今の宗主である彼は、彼女の息子に当たる。
父親は木の葉から彼女を連れ出した男で、木の葉の呪われた血筋と言われる名家の出身。抜け忍
の重罪人。
それでも、幸せすぎる愛情を父から与えられた。
父は、母の伴侶であったが、事実上は完全に炎一族の宗主としての役目を担い、ぼんやりした母
親の代わりに遺産管理を行い、不知火を整備した。
この街は父の大きすぎる遺産でもある。
その父の死は、結果的に彼に宗主としての地位を与え、また子供時代の早すぎる終わりをも告げ
た。
まだ5歳前後の容姿しか持たぬ彼は遠くを見て、表情を緩める。
大きな不知火の城門が開かれ、人々が入ってくる。
また、人々が交わり、生まれて、死んでいく。
「あー、」
ふと窓辺から振り返って隣を見ると、小さな赤子が手を伸ばしている。
引きっぱなしの布団の上に無造作に転がっている赤子は、小首を傾げた。
さらさらの髪は漆黒だが青光りしている。
目の色は紺色で、彼の母親を思わせる。
小さな弟に、彼は偽物ではないほほえみを漏らした。
父も母も知らぬ哀れな赤子は、全てを見失った母が、自分に残していった者だ。
赤子は無謀な決断を幼いが故に後先考えずにしたくなる彼に、思案の時間を与える。
「おまえがいなければ、殺しに行くのになぁ。」
声音は、台詞の割に酷く優しい。
子は窓から入る風にむず痒そうに表情を歪めたが、頭を撫でてくれる優しい手に目を細めて笑った。
不知火は火の国近くにあり、五大国の狭間と言うこともありたくさんの商人が行き交う。
自国以外で犯した犯罪を罪として問わない法律を持つ不知火は、犯罪者の潜伏先でもあった。
この町で犯罪を犯さなければ、この街にいることを許されるため、他国で悪いことをした犯罪者
なども多いわけであるが、治安は不知火の法によって定められ、管理されているので悪くはない。
だが街には強面の人間も幾らでも歩き回っている。
商業も盛んで露店等もあるが、やはり歩く人々の様相は異様としか言いようがない。
「ひっ、」
隣に通った忍があまりにも強面で厳つく、変な服を着ていたため、は小さな悲鳴を上げてサス
ケにくっつく。
「おまえ、本当に気が小さいな。」
が能力を暴走させれば遠慮無くこの街の全てを焼き払えるだろうに、の気はいつでも異様に
小さい。
サスケは思わず苦笑した。
「それにしてもすごい盛況だね。」
水月もきょろきょろと辺りを見回す。
外国製品の商店が建ち並ぶこの商店街の人波は酷く、サスケが抱き寄せてくれなければ鈍くさい
ではまともに歩くことも出来ない。
明らかに見た目が犯罪者の者も数多く存在するが、それでも喧嘩をし出したりするふうはない。
犯罪者にとってもここは最後の地だ。
他国で犯罪を犯そうとこの国では普通の人間として扱われるが、この国で犯罪を犯してしまえば
、もう後はない。
だからこそこの街は成り立つのだ。
そして特異な犯罪者がもたらす特殊な忍術や道具で武力として使用し、他国から干渉を受けない
のが不知火だ。
火の国と他国との狭間と言うこともあり、輸出入の要衝でもあるから立地条件も良い。
「わわ、」
人に押されては引きずられる。
その手をサスケが素早く取って引きずり戻した。
「大丈夫か?」
「うん。」
はその珍しい髪の色が人から注目を集めることから人の多いところを歩くのが苦手だが、ここ
ではの紺色の髪などさほど気にされていないようだ。
変な格好で歩いている奴らなんていくらでもいる。
は一応フード付きの着物を羽織っていたが、杞憂だったようだ。
身の丈ほどの大きな剣を担いで歩いている者や、体中に火傷の痕を持つ者、体中縫い合わせたよ
うな、手のない人間など、歩く人々の見た目は様々だ。
それに比べればサスケらなどまともなものである。
不知火の宗主はやイタチと血縁がないことになっている。
一応木の葉出身である二人の子供であることがわかれば、持ちうる血継限界や力、危険性も木の
葉に、そして強いては他国に理解されてしまう。
不知火は、他国にとっては邪魔な存在だ。
犯罪者をかくまっているという言い方をされることもある。
今は宗主の性別はおろか、年齢すらわかっていないが、宗主が幼いことがわかり、木の葉の犯罪
者の血族であることがわかれば木の葉からの干渉をも招くだろう。
不知火が揺らげば、まだ幼い宗主に勝ち目はない。
単独で戦って勝てるのと、国は違うのだ。
だからイタチが死んで、正式に宗主が不知火に戻ってから、は一度たりとも不知火を訪れては
いなかった。
宗主の素性がばれるのは遅ければ遅いほど良いからだ。
もちろん、が宗主の傍にいて守り続けるという選択肢もあった。
白炎使いが二人いれば、攻め落とされることもない。
しかし、には自信がなかった。
イタチの死で庇護者を失い、突然絶望の世界に放り出されたには、戦って、人を踏みつけてで
も子供を守れる自信が、なかったのだ。
入国管理の際に、一人の少年がの姿に気付いた。
元々暁でイタチの部下をやっていた少年だった。
だが、はあくまでサスケの同行者であることを強調した。
木の葉は元々はイタチの庇護下にあった意志薄弱のが、単独でどこかへ行こうとするなど考え
ていない。
彼らはイタチの死後サスケに同行していることもつかみ始めている。
不知火に来たのも、サスケが武器調達のために連れてきたと考えてくれるだろう。
人が行き交う中、思わず、は無意識のうちに俯く。
宗主の親族として入れば、義務を果たさなくてはならない。
抜け忍で、犯罪者の片棒を担いでいる身では、義務など果たせないから、だからサスケの同行者
として記録に残した。
さも当たり前のような理論だが、それは、建前だ。
自分の捨ててきた未来に、会う自信がなかっただけ。
「最低、」
自分が、最低だとはたまに思う。
イタチに縋ることで自分の弱さを隠してきた。
このままでは、また同じになってしまうのではないか。
サスケに頼りすぎているのではないか。
その感情はを非常に不安にさせる。
いつか、の重みがイタチのようにサスケを殺してしまうのではないか、と。
「?どこ見てる?」
低い声音とうなじあたりの着物の襟を思い切り引っ張られた衝撃が、を現実に引き戻す。
顔を上げると、目の前に電柱があった。
「・・・・」
「オレが放っておいたら、おまえ、ぶつかってたぞ。」
「あれ?」
「考え事も良いが、前くらい見ろ。」
サスケは呆れたようにそう言って、大通りから二番目の細道を曲がる。
「武器商人の家は近くなんだよね?」
水月が確認するように言う。
二番目の通りは武器商店ばかりの通りだった。
刀や剣、クナイをはじめ、防具なども売られている。
「不知火は、通りによって売られている物が違うから。」
はふっとほほえみを浮かべ、目を細める。
大通りは例外として様々な種類の店が集まっているが、それに対応する小さな通りには専門店街
になっている。
例えば大通りから一本目の細道は古本屋街だったし、二本目のここは武器屋街だ。
「商人にわかりやすいでしょう?」
が整備したわけではないが、イタチが考えた。
不知火は商業で発展する街部分と、田畑が広がる周囲の農業部門とでわかれている。
農業部分の整理ももちろん行われたが、特に15年間前の炎一族の滅亡から退廃していた街部分の
整備は急務だった。
この街は商業で発展するわけだから、商人のことをまず第一に考えたわかりやすい街作りをしな
ければならない。
だから、この街は碁盤の目上の通りにしてあって、番号で呼ばれる。
遠来の商人でもすぐに目当ての店がわかるようにだ。
この街が栄える基盤を作ったのは、他ならぬイタチだった。
「こんにちは。」
半ば冷えた、感情を感じさせない声音が響く。
店の壁にもたれかかって、一人の青年がこちらを見ていた。
すらりとした長身に精悍な顔立ち、短めの黒髪からのぞく青色の瞳に、サスケは息を呑む。
「おまえ、・・・」
昔、兄とともにいるのを見たことがある男だった。
「ユルスン、」
が青年の名を呼ぶ。
青年は無表情のまま小さなため息をついてを見た。
「お久しぶりですね。雪花院。」
相変わらずの丁寧な物言いだが、かつて彼に山のような小言を言われていたことを思いだし、
はサスケの後ろにこそりと隠れる。
うちは一族の血縁でもある彼は、イタチの部下だった。
イタチが木の葉を出た時についてきた唯一の人間だったという。
イタチより年齢は2,3上だったはずだ。
「小言は山のようにありますが、貴方が一番この街に来て思うことがあるでしょうから、何も言い
ません。」
怯えるにユルスンはまた一つ、息を吐いて、サスケを見やる。
「宿に案内してやれと、青白宮が仰せですので、それに従うだけに来たのです。」
ユルスンはサスケに言う。
青白宮には一応不知火を訪れることは言ってある。
気を遣ってくれたのだろう。
は穏やかな叔父の顔を思い浮かべる。
「青白宮は?」
「宗主の所用で出かけております。最近宗主の機嫌がとみに悪いので、私もすぐに戻らなくてはな
りません。」
ユルスンはサスケに宿の記された紙切れを渡す。
青白宮は歴としたの叔父、宗主にとっては大叔父にあたる。
対してユルスンはうちはの傍系とはいえ、イタチとは遠い縁。
優秀でイタチからの信頼が厚かったと言っても、宗主の直接の親族である青白宮の頼み事を拒絶
できる立場にいないのだ。
まして身分やら序列にうるさいユルスンのことだ。
彼自身それを当然と思ったことだろう。
だからこそ、にも芸事やら習字やら例え失われた一族の東宮であろうとそれに相応しい能力を
手に入れろ、少なくともうちはの嫡男の恋人に相応しくあれと小言を投げかけたのだ。
宗主に対しても苦言を呈することに臆したりしないだろう。
ユルスンは紙切れをサスケが受け取るのを確認すると興味もなさげに踵返す。
サスケが生き残っていることに対しても、言葉をかける気もないようだ。
はその後ろ姿をぼんやりと見送っていたが、はっと顔を上げる。
「あのっ、ユルスン、えっと。」
尋ねたいことがあって、でも言うのがはばかれて、自分から声をかけておきながらは言葉に詰
まる。
「あ、えっと、その・・・」
「・・・・相変わらずはっきりしない方ですね。」
ユルスンは辛辣な口調での様子を批判して、振り向く。
「安心なさってください。外に出られなくてご機嫌は斜めですが御宗主も、蒼の若君もお元気でい
らっしゃいます。」
彼の言葉に、は安堵の息を吐く。
捨ててきた未来だ。
は彼らの傍にいることの出来る道を持ちながらも、それを貫くだけの強さを持たなかった。
でも、愛おしくないわけではないし、未練がないわけでもない。
ユルスンはそれだけ言うと、本当に二度と振り返ることはない。
は小さな温もりと後悔に、小さな息を吐いた。
小さな大切だった欠片達