恨みという感情が、よくわからなかった。
憎しみが、抱けなかった。
父が死んだ時も、イタチが死んだ時も、ただ哀しかった。
喪失と孤独に怯えたとしても、そこに憎しみを抱くほど、激しい感情はなかった。
『火影と木の葉の上層部を殺しなさい。』
ユルスンの言葉はサスケが考えていることと同じだった。
もちろん意図は違うだろうが、ユルスンだってうちは一族だ。
故郷である木の葉に愛着がないというのは、うちはが滅ぼされた原因を知るからだろう。
の母の一族である炎一族が滅ぼされたのは、木の葉の上層部が砂隠れの里と取引したせいだと
いう。
イタチが罪をかぶせられたのは、元々はうちは一族の反乱が原因かも知れないが、一番は上層部
の意向だった。
苦しかっただろうか、木の葉を見捨てようと思ったことはなかったのだろうか。
少なくとも哀しかっただろう。
子供過ぎてわからなかったは、そんな話をこれっぽっちも聞こうとしなかった。
狂おしそうに抱きしめてくるイタチを抱き返すことしかできなかった。
「どうすれば、良いのかな。」
呟いても、答えは、決まっている。
いざとなれば、本気で木の葉の上層部と火影を殺しにいかなければならない。
それはが作り出した子供達への責任であり、イタチの残した者を守るためでもあった。
不知火の宗主を抱いて嬉しそうに笑んだイタチを思い出す。
人並の幸せの証。
犯罪者で、一族を皆殺しにして、そんなイタチが唯一手に入れられた、幸せ。
それが未来につながることを、彼は何よりも望んでいた。
たった数人殺すだけに、はこれほどの重みを感じる。
人を殺したことすらないは途方に暮れる。
それでも、木の葉の人間はにとってただの他人だ。
イタチは、家族を皆殺しにしなければならなかった彼は、どれ程の重荷を背負っていただろう。
「だめだな、」
強くならなくちゃと、心で何度繰り返しても、やはり難しいところは多い。
は暗鬱とした気分で宿屋に戻り、部屋の襖を開ける。
すると奥へと続く部屋の襖が焦げて、半分以上灰になっていた。
黒い消し炭だけが残っている。
「なにこれ?」
は先ほどの気持ちも忘れて膝をつき、ぴっと黒い筋をこする。
「誰か燃やしちゃったの?」
香燐と水月の喧嘩かと首を傾げて奥に入っていく。
サスケが窓辺から、眼下の街の様子を見ていた。
「サスケ?」
声をかければサスケは驚いて、弾かれたように顔を上げる。
「どうしたの?」
いつもではあり得ないほどぼんやりしたサスケの様子には目を丸くする。
が近づいても気付かないなど、何を考えていたのだろうか。
「いや、少しな。」
嘘はつかないと約束した手前、何でもないとは言わない。
何かあったのだろうかと気になりはしたが、はあえて聞かなかった。
心の中に、まだユルスンの言葉が燻り続けている。
「あれ?香燐ちゃん達は?」
「出かけた。来客があってな。」
サスケは素っ気なく答えてくるが、いつものことだ。
はあまり気にせず、隣に座った。
一人になっていた方が良いのかも知れないが、一人になると物思いにふけってしまいそうで、怖
い。
「、おまえ、」
口を開いて、サスケは何かをに問おうとしたが、黙り込む。
「ん?」
珍しくはっきりと言わないサスケの態度に不思議に思うと同時に、沈黙が落ちれば、不安も覚え
た。
静かなことが、不安を煽る。
「サスケは、さ、木の葉の上層部に、復讐したいって、言ってたよね。」
「ぁ、あぁ、兄貴の、仇だからな。」
サスケは突然の言葉に驚きながらも、はっきりとした答えを返す。
イタチが木の葉の上層部に罪をかぶらされたことは、も知っている。
だから、はサスケとともに歩むと決めた時、考えて、自分は人を殺せないし、憎しみもよくわ
からないけれど、協力すると答えた。
は幼い頃から木の葉の屋敷に幽閉されていたが、恨みがあるわけではない。
憎しみという感情はにはよくわからない。
悲しみはいつも胸を塞ぐけれど、誰かを恨むと言うことを、したことがなかった。
今も、やはりにはよくわからない。憎しみも、復讐も、サスケの感情のすべてを理解すること
は出来ない。
ただ、ユルスンに言われたことを、思い出す。
「わたしも、木の葉の上層部を殺さないと、いけないみたい。」
「は?」
「木の葉、火影、変わったでしょ?不知火、脅されてるんだって。」
はぽつぽつとユルスンに言われたことをかいつまんで話す。
手を握りしめれば、爪が手に食い込んで血を溢れさせる。
人を殺したことはない。
一度もない、けれど、
「殺さないと、不知火の宗主が、死んじゃうって、」
口に出せば、手が震える。
この細い腕で抱いた色の白い赤子。
柔らかに微笑んだイタチの優しい表情。
は生み出した命と一緒に居ることをしなかったが、愛していなかった訳じゃない。
彼の幸せそうな、嬉しそうな笑顔を思い出せば、彼がどれ程赤子を望んでいたかわかる。
彼はいつも、と子供達に優しかった。
そして自分も、忌まわしい自分と同じ力を持っているはずなのに、彼の面影を映す子供達を、酷
く愛おしいと思った。
子供が笑ってくれると、嬉しかった。
「殺さなくちゃ、」
ぽたりと涙がこぼれ落ちて、手に溜まった血と混ざり合う。
あの子が赤い血に沈むくらいなら、自分が手を汚す方が百倍苦しくない。
サスケはの告白を静かに聞いていたが、そっとの握りしめた右手を自分の手で包む。
の掌には、くっきりと血のかたがついてしまっている。
赤い血は、誰にでも流れている。
なのに、あふれ出せば、止まらない。
「そうか。」
サスケは、慰めることもせずに、口からはき出すように返事をする。
「オレと、一緒だな。」
の手の傷に唇を寄せる。
舌を出して舐めれば、が身を震わせた。
は感度が良い。全体的にくすぐったがりで、敏感だ。
「一緒、だね。」
は思い詰めた、哀しそうな顔をしていたが、自然と笑みが浮かんだ。
変な笑いが漏れる。
何がおかしいわけでもない。状況は楽しいとは思えない程苦しい。
それでも、一緒だという言葉は、に心の余裕を持たせる。
一緒、
不思議な言葉だ。たった一言なのに、一人ではないと思える。
サスケとともに、痛みを共有しているような気持ちになる。
感情は違う。
サスケは憎しみから、は命を天秤にかけて、木の葉をつぶすと心に決めた。
でも、やらなくてはいけないことは、一緒だ。
サスケはまだ血の浮かぶの手に自分の手を絡める。
は痛みを感じるにもかかわらず、その手を握りしめた。
の手は少し傷の跡があるが真っ白で、小さい。
躯が小さいこともあるのだろうが、同年代の中でも小さいだろう。
厳しい修行を行ったこともないから、掌も柔らかい。
対してサスケの手は固い。
当然男だというのもあるが、幼い頃からクナイや手裏剣を握り、修行するうちに自然と固くなっ
たのだろう。
境遇は、違う。
は幼い頃から幽閉され、孤独の中に過ごした。
両親がいたとはいえ、記憶は少なく、孤独の中にいた時間は長い。
サスケは、幸せだった。
両親がいて、兄がいて、少なくとも幼い頃劣等感に苛まれはしても、寂しくはなかっただろう。
別々に育って、同じ痛みをこうして共有し、寄り添っている。
サスケは慎重にの躯に手を回す。
は身を委ねるようにサスケの肩に頬を寄せる。
彼は優しい。
触れるのに怯えるように優しく触れてくれる。
到底サスケほどの強さはなく、弱くて子供な自分に、対等にあろうと、言ってくれる。
「サスケの、隣にいるよ。」
改めて、は告げる。
前はただ、彼が必要としてくれると言ったから、彼の傍にいようと思った。
同じ立場で物が見れるように、彼が見ている物を知り、対等でいようと、それに向けて努力する
ことを誓った。
ただ知るだけで良かった。
でも、今は違う。
「サスケと、同じこと、わたしも頑張る。」
目的が、同じになった。
知って歩むだけではなく、自分も同じことを果たすのだ。
それが火影や木の葉の人間を殺すことだというのは哀しいが、戦わなくてはならない。
結局、紆余曲折を経て、同じ場所にたどり着いてしまった。
「同じ、か。」
サスケはから身を離し、を向き合う。
太陽が沈む直前の紺色の瞳と、真っ暗な夜と同じ漆黒の瞳。
静かに目を閉じて、額をあわせて、改めて目を開く。
夜風が、髪を舞い上げていく。
「傍に、いろ。」
素っ気ない言葉と共に、頬をサスケの固くて大きな手が撫でていく。
安堵からか、一筋、紺色の瞳から涙がこぼれ落ちた。
サスケはそれを優しく拭って、頬に唇を寄せる。
一人ではないから、大丈夫。
はサスケの背中に手を回し、目を閉じる。
―――――――――、駄目だぞ。
まるで諫めるような声音。
遠く聞こえたその声はイタチの物だった気がしたが、温もりに身を委ねたは気付かなかった。
すべてが大きな過ちであると、気付けなかった。
間違った方向に踏み出した足