の体調は一向に安定しなかった。





「厳しいわね。」 





 の手を握りしめるサスケに、サクラは眉を寄せてそう言って、の額の汗をタオルで拭う。ナルトは近くにあった手ぬぐいの入った桶の水を意味もないのに五分おきに変えていた。

 45度を超す、普通の人間なら軽く死んでいる熱を出し、は苦しそうに床についている。朝方熱を出し、もうすぐ日が暮れるというのに、この感じだ。

 原因はけがから来ているのか、それとも内蔵機能の低下に伴い菌が入ったことで感染症を起こしたのか。余りに思い当たる原因が多い上に特別な血継限界を持つ彼女は身体機能や構成が違う。

 そのためふつうの薬でも、効き過ぎたり効かなかったりと、薬の投与一つにも慎重にならなければならず、挙げ句彼女の容態はその小さなミス一つで失われるにではないかと言うほど弱り切っていた。





「一時間前に、パラセタモールの投与と止めて強い熱冷ましを投与したんだがな。」





 綱手は痛み止めをやめ、熱を下げる為の点に切り替えた。怪我から来る痛みは本来なら叫び出すほど辛いはずだが、はぼんやりとしていて、叫び出す元気すらない。





「熱がひどいと脳機能の障害を起こすからな。」





 脳への影響は強烈だ。薬を投与しすぎることは決してよくはないが、ひとまず強い薬で熱を下げることが重要だった。





「痛いはずなんだがな、」 





 綱手は優しくの髪を撫でる。

 両方の太股の傷は、神経を焼き切るほどひどく、体中にたくさんの傷がある。致命傷となってもおかしくなかったほどの傷がいくつもある。痛み止めを止めれば、痛くないはずはない。


 は曇った紺色の瞳をうっすらと開き、ぼんやりと宙を見ている。意識は混濁しており、ほとんど誰かの声に答えられる状態ではなかった。





「そうか。」





 サスケはそういうしかなく、ただ熱いに手を握り、祈るしかなかった。





「ぃ、」






 の桜色の唇が小さく何かをつぶやく。





?」




 サスケは立ち上がって、何かと唇に耳を寄せるが、譫言のようで上手に言葉にはならない。ただそれでも、サスケは僅かに聞き取れた名前に、泣きそうになった。

 椅子に再び戻り、の手に頬を寄せる。

 紺色の瞳は全く現実を映しておらず、ただ熱で夢とうつつをさまよっている。




「ぃ、ち」





 いたち、と小さく呟いた声は、今度こそサクラの、そして綱手の耳にも届いた。ナルトは目を丸くして表情をゆがめる。

 とイタチの不思議な関係は、木の葉でも知られていた。

 はイタチの担当上忍だった斎の娘だ。斎はイタチをかばってなくなっており、すでに父しか肉親のいなかったはイタチに父を奪われた形になる。

 が幽閉されていた屋敷に何故だが頻繁に通うようになっていたイタチだったが、数年後にはうちは一族を皆殺しにして、里を抜けた。なのに里を抜けた数年後に、また戻ってきて、相変わらず幽閉されていたをさらったのだ。

 それからは、イタチに庇護され、イタチがサスケとの戦いで死ぬと、サスケとともにいるようになった。




「イタチが、恋しいか」





 綱手はに問うように言って、の髪を何度も撫でる。

 イタチといた数年間、がどういう生活を送っていたのか、ほとんどわからない。だが、大切にされていたようだ。それは暗部の報告とも一致している。そして、人を疑うことをほとんど知らないの精神性に反映されている。

 また暁の手の者たちも、イタチといる時に近づくことはほとんど許されず、暁の構成員の中でもにあったことがない者がいたほど徹底して隠されていた。雪の中宮、密かにそう揶揄されており、希少な能力よりも、イタチが自分の恋人を囲っているだけだと考えていた者も多かった。




「苦しいな。」 





 大切な人を亡くした世界で生きていくのはとても辛い。

 そのことを痛いほど知る綱手はに同情を禁じ得なかった。ましてやこれほどの痛手を負って彼女はイタチの大切だと思った物を守ろうとした。

 もう亡きイタチのために。

 悲壮な決意だ。二度と会うことのできない人のために、命を懸けたのだから。

 綱手は心のどこかで、は死にたいのではないかと思うことがあった。子供と一緒にいることはできず、最愛の人は既にない。木の葉はを幽閉した里だ。

 彼女が戦い抜いても、彼女の手の中には何もない。死んだ人が蘇るわけでもない。




「可哀想にな。」




 力を持ったがために幽閉され、周囲に振り回され、恐れられ、こうしてぼろくずのようになって機械につながれている。ナルトのようにまっすぐ生きる希望すら与えられぬまま、ここにいる。こうして死んでいく。

 多分彼女の心はイタチに守られたまま、まっすぐ育った。けれど、歪みがなかったからこそ、サスケのように狂うこともできなかっただろう。悲しむしかなかった。現実を見据えて生きるしかなかったのだ。

 世界はこの子にとって残酷すぎる。

 そう思えば、痛みに叫べぬほど弱り切った彼女をここで殺してやった方が彼女のためではないかと、綱手は考えることすらあった。










 サスケがの名前を呼ぶ。何度も、はっきりと大きな声で。





、約束を忘れるなよ。」





 彼は手を握りしめる。必死に彼女をつなぎ止める言葉に、がぼやけた視線を僅かに動かす。

 はサスケの声にはよく反応する。




「兄さん、お願いだから、を連れて行かないでくれ、」




 懇願が、部屋に響きわたる。

 がゆっくりと枕元にいるサスケの方へと視線を動かす。酷く緩慢な動きで、ゆっくりと視線をサスケへと向け、焦点を結ぶのにも時間がかかった。




「さ、」




 熱に浮かされた、ぼやけた声だ。

 それでも名前を呼ばれたサスケは、安堵したように頷く。


 は潤んだ瞳でサスケを見上げたが体の痛みからか、初めて表情を歪めた。





、わかる?」





 サクラが声をかけて手をの前でふるが、反応は鈍い。うまく焦点があっていないらしく声は聞こえていても手へは反応しなかった。

 はっきり意識が戻ったわけではないようだ。



「ぃ、たぃ、」




 譫言のように言って、身をよじる。目尻からはぼろぼろと涙がこぼれ、痛みに耐えるように身を丸めようとするがそれが益々痛みを助長させるのだろう。

 息を乱して小さく何度も体を震わせた。




「くる、し、よ」





 空気がうまく吸えないのかふらふらと手をさまよわせ、呟く。その姿に綱手は点を変えながらチューブをぎゅっと握りしめた。


 もう、良いよ、と思う。


 本当に殺してやりたい。これ以上がんばれなんて事情をすべて知る綱手には口が裂けてもいえない。彼女がこれ以上苦しむ理由なんて、ないのだ。そしてこれから待ち受ける世界も、きっと彼女の望むものではないだろう。

 足すらも失って、動く術もなく、愛した人のいない世界で、かつて自分を幽閉した里で生きていくことが、何になると言うのか。




「ぅ、ぁ、」




 見ているのが辛いのか、サスケは泣きそうに顔を歪めて、手で顔を覆った。




「少し、休んだらどうだ。」




 綱手はサスケに声をかける。ここ数日、彼はまともに眠っていない。いつもの傍にいる彼はが急変するとほぼ徹夜で傍に何日もいることが少なくない。

 サスケの顔色はよくはないし、目の下には隈があり、正直やつれたなと思う。

 の怪我は自分のせいだと彼はずっと自分を攻め続けている。常にすべてを他人のせいにして生きて、里の破滅すらも願った彼だが、だけは彼の最後の良心だったのだろう。

 最後の最後でサスケを守った彼女に対するサスケの信頼と依存は絶大で、だからこそ絶望と罪悪感も大きい。

 身体的に病んでいるのは間違いなくだが、サスケの方は精神的に病んでるなと明らかにわかった。原因が原因だけに解決のしようもない。




、」





 名前を呼ぶサスケの懇願は、朦朧としてそのまま闇に引き込まれそうになるを一歩手前でつなぎ止める。僅かに焦点を結ぶ紺色の瞳と、サスケの震える声に苦しいという言葉を噤んだに、綱手は俯いた。


 もう 我慢しなくて良いんだ。


 その言葉を綱手は何とかのみ込む。どちらがよいのかなどもう明らかでも、自分の職業は命をつなぎ止めるものだと、言い聞かせる。




「ぅ、ん」




 サスケの声には苦しさもすべてその言葉に込めるように深く頷く。




「ごめんな、」




 サスケは震える声音でぽつりと言ったかと思うと、こらえきれなくなったのだろう。




「ごめん、ごめんな、変わってやれなくて。ごめんな、本当に、おまえだけは、こんなぼろぼろで、オレだけ生きてて、つなぎ止めて、苦しくて、痛いのに、」





 ぽろぽろと言葉がこぼれていく。




「ごめん、」




 俯いているため表情は窺えないが、サスケは泣いていた。白いシーツの上に、ぽたぽたと水がこぼれる。

 綱手ががもう苦しまないように、を殺してやりたいと思うのは、サスケも同じだったのだろう。




「でも、死ぬなよ、オレが生きて、られなくなる、ごめんな、弱くて、」




 強くあれたのはただ、という存在が後ろにいてくれると知っていたから。それだけだ。

 が何よりもサスケの生を望んでいるのは知っているが、がいなければサスケは罪悪感と後悔に潰されてもう生きていられそうにはなかった。




「ごめん、、」




 サスケの繰り返される謝罪には目を瞬く。そして僅かに頷いてみせる。

 の表情は相変わらず苦しそうで、焦点もぼんやりとしている。けれど痛いとは口に出さなかった。それを綱手は泣きそうな思いで見つめる。





「きっと、」





 守ってみせるから、と、綱手は小さな声で呟いた。生きていて良かったと思わせてみせるから。誰かこの子を助けてほしい。






死という慈悲が最良のものではありませんように


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